古代ローマについて述べるとき「すべての道はローマへ通ず」という有名な言葉が使われます。紀元前753年に伝説上の王ロムルスによって建国されたと伝わる古代ローマは、地中海沿岸の多くの都市国家のひとつとして出発し、イタリアから地中海世界全域を支配する世界帝国となり、476年にゲルマン人の侵入によって滅亡しました。
古代ローマの繁栄は、強大な軍事力だけでなく、法制度、異民族・異文化を包摂する民族性など様々な要因があげられますが、社会資本の重視も重要な要素でした。社会資本を表すインフラストラクチャ―という言葉も、そもそもローマ人の言語であったラテン語で、下部とか基盤を表す「infra」に由来しています。
共和政時代からの街道建設は、有名なアッピア街道(ローマからギリシャにわたる港湾都市ブリンディシまで)に始まり、帝政時代にはガリア(現フランス)やブリタニア(現イギリス)、中東から北アフリカまで、地中海世界を縦横に結んでいました。幅8m、石畳で舗装されたローマ街道は、鉄道ができる近代以前は最も早く移動できる道路と言われていました。

現在に残るアッピア街道(Wikipediaから引用)
街道以外にも現在も見ることのできる水道橋も広く建設され、清潔な上水を市民に無料で提供しました。ローマ人の考えるインフラは、街道、橋、港、神殿、公共浴場などの構造物だけでなく、治安、税制、医療、教育なども含めていたとされています。
「ローマ人はインフラを『人間が人間らしい生活を送るために必要な大事業』と考えていた。」(塩野七生「ローマ人の物語27」新潮文庫より)
ローマ街道は軍用道路として建設され、軍団の行動力を確保するものでしたが、住民の利用も自由であり、広域な経済の発展、人々の交流を可能にしました。そしてローマでは新たな建設と同時にその維持・補修に力を入れており、このインフラの維持の重視がローマの長い繁栄を支えたと考えられています。しかし5世紀のゲルマン人の侵入による帝国の滅亡後は、街道は荒れ果て、水道橋も再建されることはありませんでした。インフラの荒廃は国の衰えを表す兆候なのです。
道路を作っても橋や下水道を作っても、それが直接利益を生むわけではありません。上下水道は受益者負担分として水道料金を支払っていますが、それで水道局が儲かるわけではありません。河川堤防もダムも、さらに言えば学校も病院も利益のためのものではありません。先ほどの言葉を使うならば「人間が人間らしく生きるためのもの」であり、社会、共同体を維持するためのものです。
「最後の警告」によって示された方向性―社会資本の維持、管理、補修に力を入れる―は、国交省、各地方自治体によって進められ、現在は産・学・官一体となって進める「インフラメンテナンス国民会議」が作られ、技術革新、企業等との連携、地方自治体への支援などが進められてします。
しかし・・、とにかく数が多いのです。
橋長2m以上の道路橋は全国で72万橋、トンネルは1万2千本、上水道管74万km、下水道管49万km・・・、それらのうち耐用年数50年を超えるものが、2030年時点で道路橋が54%、トンネルが35%、水道管21%、下水道管16%です。これらは当たり前ですが、年を追うごとに増えていきます。
元土木学会会長の家田仁先生(政策研究大学院大学教授)は、この現状について以下のように述べています。
「道路や橋、上下水道の7割は市区町村が管理しています。これらの市区町村のうち、25%の437団体では技術系職員が全くいません。約5割の827団体では5人以下の技術系職員だけでインフラの仕事にあたっています。このような恐ろしいほどの少人数で、インフラの点検や補修の発注、そのための予算の要求などの業務を行っているのが、今の日本の現状です。」(2025年3月11日談)
というわけで現在提唱されているのが「インフラ群マネジメント」です。「群マネ」と呼ばれていますが、個別の自治体で対応するのではなく、県や市町村、市区町村どうしなど、複数の自治体が共同して、複数分野のインフラを「群」として効果的、効率的にマネジメントしていこうという取り組みです。自治体、技術者、事業者もそれぞれグループ化し、自治体、技術者は管理者として計画、マネジメントに注力し、予防保全型のメンテナンスサイクルを構築し、事業者は維持管理業務が効率化され、収益性が向上することが期待されます。
各自治体、事業者の具体的な取り組みレポートを読むと、限られた予算の中で、新たな技術を開発し、必死に進めようとしている姿に頭が下がる思いです。
ではこれでわが国の社会資本の維持は安心なのか、わが国の「人間が人間らしく生きるための事業」を守っていけるのか、というとやはり不安が残ります。
わが国がこれからどのような方向に進もうとしているのか、一国民としてはなかなか見えにくい状態にあると感じています。少子高齢化の中で社会保障費が増大し、財政事情は悪化、さらに海外での戦争、円安によりインフレが進行しています。
こうしたなかでどの分野に予算を重点的に分配していくのか、大変難しい舵取りが政府に求められています。しかしどのような分野に投資し、経済成長をめざそうとも、社会資本の整備をおざなりにしていては、それは絵に描いた餅にならざるをえません。ことは道路や橋、上下水道に限った話ではないのです。河川、港湾、鉄道と言った土木分野のみならず、電力、通信、農業基盤、森林基盤、さらには教育、医療など幅広い分野が社会資本に含まれます。これらは経済成長ではなく、社会・共同体の維持に不可欠なものなのです。
最後に古代ローマを同時代人がどう見ていたのかに触れておきます。
「(ローマ人は)河川には橋をかけ、平地にはもちろんのこと山地にさえ街道を敷設し、帝国のどの地方に住まおうと、往来が容易になるように整備したのである。しかもそのうえ帝国全体の安全のための防衛体制を確立し、人種がちがおうと民族が異なろうと共に生きていく必要な法律を整備した。これらのことすべてによって、あなた方ローマ人は、ローマの市民でない人々にも秩序ある安定した社会に生きることの重要さを教えたのであった。」
アリスティディス(紀元2世紀のギリシャの哲学者―引用は塩野七生「ローマ人の物語27」より)
現代の日本人にとっても耳を傾けるに足る言葉ではないでしょうか。