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最上川についていろいろ(3)最上川流域の形成史

2026年05月22日

 最上川はいつからあるのか?「悠久の川の流れ」という言葉がありますが、実はそれほど長い歴史を持っているわけではありません。もちろんそれは地質年代を尺度にした場合で、人間の時間を尺度にすれば大変に長いのですが。

 東北地方の多くが地上に姿を現すのは、中新世末期から鮮新世(800万年~600万年前)以降で、それまでは海中にあったのでそもそも最上川は存在しません。それ以前は、北上山地、阿武隈山地、飯豊・朝日山地が島としてあったにすぎません。

 太平洋プレートの圧縮力により奥羽山脈、出羽山地が大きく隆起し、現在のような姿になるのは新第三紀更新世以降、つまり300万年前以降です。山形県内で活断層とされている断層帯は、新庄盆地の東西断層帯、山形盆地断層帯、長井盆地西縁断層帯、庄内盆地東縁断層帯などです。これらの断層帯によって山地と盆地・平野が区切られ、山地が隆起、盆地・平野が沈降しています。

 これらの断層帯は、東北地方が海の上に姿を現した時代から継続的に活動してきたはずです。この断層活動により、奥羽山脈、出羽山地が隆起し、米沢盆地~新庄盆地、庄内平野は沈降し、そこに隆起した山地が浸食を受け、大量の土砂が流入し、平地が形成されました。

 下の図は山形県域の過去の海と陸地の想定分布図です。400万年前でもまだ出羽山地ははっきりと見えません。

          山形県域の過去の陸・海の想定分布図

         (東北地質業協会編「山形県の地質」より)

 

 これを見ると、山地の隆起に伴って海域が後退し、それを追いかけるように支流が合流し、最上川が出来上がってきたことが想像できます。

 下の図は最上川流域の標高と距離を表した図です。狭窄部では勾配が急になり、盆地では緩くなっていることがわかります。氾濫を起こすということは、そこで水が滞留し、土砂を沈降させ平地を作るということです。狭窄部こそが上流の盆地=平地を作る要因です。しかしそこに人が住み、生活し、田畑を作るようになると災害と呼ばれます。

 上流の盆地からしだいに陸化し、最後に陸化したのが庄内平野です。庄内平野も新潟平野などと同様、かつては広く遠浅な海でした。氷期-間氷期の繰り返しの中で、海になったり陸になったりをくりかえしながら、最上川が運ぶ大量の土砂で埋め立てられていきます。

 最終氷期終了後(およそ1万年前)、現在の海水準-10mまで上昇してきた7,000年前から5,000年前に、砂州が現在の海岸線付近に形成され、古庄内湾が出来上がったと考えられています。最上川は湾を埋め立て、およそ4,000年前にほぼ現在の海水準に達しました。砂州は砂丘となり、庄内平野は最上川の後背湿地と赤川、日向川、月光川の扇状地になりました。この当時、人が生活できたのは扇状地に限られていたと思われます。1,200年前からは、各河川は沖積平野面を下刻する傾向がある、つまり土砂の堆積が十分に進んだ、と考えられています。

 庄内平野の形成を考えるうえで重要なのは大量の土砂の堆積です。山は隆起していくので、浸食量もそれに応じて大きくなるのですが、その中でも重要なのは山の斜面の崩壊による土砂の供給です。最上川流域は日本でも有数の地すべり地帯です。

 最上川流域の岩盤は、かつて日本海にあったころに堆積した泥が固まった泥岩(でいがん)と、海底火山の噴火でできた凝灰岩(ぎょうかいがん)、溶岩から主にできています。泥岩は地すべりの素因になりやすい岩盤です。そしてもう一つ、火山の存在です。火山からの噴出物は未固結な地層となり、頻繁に崩壊を起こします。

 月山の北側から流れてくる立谷沢川の河原には、巨大な礫がごろごろしており、その荒々しさに驚かされます。自分の経験で恐縮ですが、私は立谷沢川上流の濁沢の治山事業のため、崩壊地の調査に携わったことがあります。濁沢という名前のとおり、雨が降ると白い濁流が流れ下り、前年に完成したばかりの巨大な砂防堰堤が満杯になり、濁流で破壊された堰堤もありました。土石流のすごさに驚かされました。

 下の図は濁沢付近の地形図です。左下のなめらかな斜面は月山山頂付近の弥陀ヶ原です。ここはまだ浸食が及んでいません。濁沢左岸は巨大な崩壊地となっていて、ここから出る岩塊が立谷沢川まで土石流として流れ下っています。

        立谷沢川上流の地形図(地理院地図を編集)

 もう一つ、大蔵村の銅山川周辺の地形図も上げます。下湯ノ台、今小屋野という地名のあるあたりは平坦面が広がっていますが、銅山川のまわりは激しい崩壊が見られます。南山という地名のところは何段にもわたって、崩落涯があり川に向かって崩れ落ちています。平坦面は肘折火山がおよそ2万年前に噴出した火砕流台地です。火砕流は基盤の泥岩の上に堆積しており、泥岩と火砕流堆物の境ですべりが発生しています。大蔵村はほとんど一村全てが地すべり地と言っても過言ではありません。

     山形県大蔵村・銅山川周辺の地形図(地理院地図を編集)

 大規模な地すべり地は国営事業として砂防工事が行われ、概成したところもありますが、月山南麓の志津地区や七五三掛(しめかけ)地区では、現在も国の直轄砂防工事が続いています。

 豪雨は氾濫被害だけではなく土砂災害も引き起こします。これも最上川流域が形成されてきた過程で作られた地質的要因によって起きています。庄内平野を肥沃な大地に変えた土砂は、一方で災害を引き起こす原因でもあるのです。