宮城県大崎市から山形県新庄市を結ぶ国道47号線はJR陸羽東線と並行し、奥羽山脈を横断する幹線道路です。宮城県側から行くと、鳴子温泉、中山平温泉を過ぎ、県境にむかって緩やかに登っていきます。松尾芭蕉が「奥の細道」で通ったコースでもあります。県境を過ぎ最上町に入ったところに芭蕉が泊まって「蚤虱馬の尿する枕もと」と詠んだ封人の家があります。国の重要文化財です。

古川―新庄のルート(地理院地図を編集)

国道47号線沿いにある「封人の家」
封人の家の向かいに「堺田の分水嶺」という看板があり、細い道を下りていくとJR堺田駅のそばに小さな池があります。そして写真にあるように「⇦日本海・太平洋⇨」の看板があります。この小さな池からの二つの流れは日本海と太平洋に分かれているのです。

堺田の分水嶺の池
分水嶺とは読んで字のごとく、水を分ける嶺です。奥羽山脈は日本海と太平洋を分ける山々の連なりですが、奥羽山脈の東側に降った雨は太平洋に、西側に降った雨は日本海に流れ、決して交わることがありません。この分水嶺(地形学では分水界といいます)の中で嶺ではなく谷が分水界になっているところがあり、これを谷中分水界と呼びます。
平凡社の地形学辞典によると「谷底にある分水界。谷分水ともいう。ひとつの連続した谷の中で、谷の横断方向にのびる低い高まりが分水界となって、二つの河流が反対方向に流れる場合にいう。河川の争奪などにより生ずる。」となっています。
谷中分水界は日本全国至る所にあり、珍しいのもではありませんが、ひとつの流れが完全に二つに分かれ太平洋と日本海に流れ出る地形はめったにありません。この地形で有名なものが京都丹波市にある「石生の水分れ(いそうのみわかれ)」です。南への流れは加古川水系高谷川として瀬戸内海へ、北への流れは由良川水系黒井川として日本海へ流出します。現在は水分れ公園の水路が人工的に固定されています。下の地図では、石生駅の南側卍マークと〶マークをつないだあたりが分水界にあたります。とてもここが分水界とは思えない平坦な場所です。

石生の谷中分水界(地理院地図を編集)
以前、由良川の流路を地形図で追いかけていて、いつの間にか加古川から瀬戸内海に入ってしまい、「どこで間違えたのかなあ」と何度たどり直しても同じ結果になり、改めて調べて谷中分水界のことを知ったという経験がありました。このあたりの河川流路は非常に複雑です。
堺田の谷中分水界も、北上川水系大谷川と最上川水系明神川の共通の源流部であり、そこから二つの流れとして分かれています。先ほどの地形学辞典で「河川の争奪などにより生ずる」と書いてありましたが、「河川争奪」はちょっと難しい概念ですので説明が必要です。
「分水界を共有する2本の河川の一方または両方の頭方浸食または側刻によって分水界が低下し、ついには両河川が接触したために、河川高度の高い方の河川が低い方の河川に流入して、前者の流域変更が起こる現象である。争奪した河川を争奪河川と呼び、争奪された河川の上流部を被奪河川、その上流部を奪われ短縮された元の河川の下流部を斬首河川、その争奪地点を争奪の肘とそれぞれ呼ぶ。その肘、つまり斬首河川の上流端に生じた谷中分水界を風隙と呼ぶ。」(鈴木隆介「建設技術者のための地形図読図入門」より)
この説明でも難しいですが、図を見ると多少わかりやすくなります。二つの川が浸食によって接触し、浸食力の強い川が弱い川の上流部を奪い、奪われた川は流量の少ない細い流れになり、分不相応な平地が残され、そこが谷中分水界になる、という考え方です。

河川争奪の概念図
はじめて堺田の分水嶺を見た時には、ここで太平洋と日本海が一つの流れでつながっていることに感動しました。そして、こここそが今河川争奪が起きている現場に違いないと直感しました。大谷川と明神川のどちらか、浸食力の強い川がこの流れを奪取し、数十年か数百年後には、ひとつの流れになり池もなくなる、この池の場所が争奪の肘になると思ったのです。
で、このことをブログにいつか書こうと思っていたのですが、地形図を改めて見るとどうも腑に落ちないのです。江合川の支流である大谷川は、鳴子の合流点から上流で鳴子峡の深い谷を刻み、堺田の分水界に向かいます。一方の小国川の支流明神川は赤倉温泉の盆地から比較的穏やかに分水界に向かいます。直感的には大谷川の浸食力が強いように感じます。しかし分水界に近づくにつれ深い谷はなくなり、流れは穏やかになります。

堺田分水嶺付近の地形(地理院地図を編集)
地形図上で合流点から分水界までの長さと高さの比を計測してみると、概略ですが、大谷川は0.017、明神川は0.019、ほぼ同じかやや明神川の傾斜が急なくらいです。どちらが争奪河川になるか不明です。そして何よりどちらの川も本流は堺田の谷に入る前に北の大柴山(1082m)に向かって曲がっているのです。分水界の池に流れこんでいる沢は、地形図上に現れないか細い流れにすぎません。これでこの分水界で河川争奪が起こるのでしょうか。
ところで河川争奪は実際に起きていることが現認された現象ではありません。河川争奪の結果できたと考えられている谷中分水界は日本中にありますが、それが起きた現場を見た人はいないのです。古文書で「昨日までの川の流れが今朝になったら別の川になっていた」などというものは確認されていません(たぶん)。つまり河川争奪は、現在の地形から見てこういう現象が起こったと考えると合理的に説明できる、という仮説です。
自然科学ではこうした仮説にもとづく議論はごく普通であり、地形のような長い時間をかけて出来上がるものにはつきものです。地形学の中でも準平原、先行谷なども同じような概念と言えます。いずれにしても堺田の地形をどう見るか、私にはわからなくなってしまい、ブログのアイデアはしばらくお蔵入りとなったのでした。
ところが全く別の方向から堺田の分水嶺についての解釈が表れました。それは元産総研研究主幹高橋雅紀先生の「分水嶺の謎」「準平原の謎」「蛇行河川の謎」という3冊のシリーズです(この後も続くようです)。高橋先生は「ブラタモリ」の解説でおなじみですが、地質学者として日本列島の成立について重要な研究をされてきていました。
私も先生の「東西日本の地質学的境界」以来、論文を読んできて、すごい研究だなあと思いつつ難解でもあり、分かりやすく本にまとめてくれないものか、と期待していたのですが、地形学の方向から研究を発表されるとは驚きました。
高橋先生の地形の解釈は、デービス(アメリカの地形学者)以来の地形学を根本からひっくり返す画期的なものです。地表地形の形成は河川による浸食を主な営力としている、という私たちが長年親しんできた考え方から、日本では東西圧縮による隆起時の海の営力(波浪による浸食)を主としているという転換です。
この考えによると、堺田の分水嶺は奥羽山脈が隆起してくるときの海峡の名残であり、谷を作ったのは海の波浪です。堺田の分水嶺だけでなく、奥羽山脈を横断するルートである北上―横手間の巣郷峠、白石―米沢の七ヶ宿峠もみな同じです。
高橋先生の「峠は海から生まれた(「分水嶺の謎」のキャッチコピー)」という考え方は、まだ地学の世界で一般的に認められたものではありませんし、私自身すっかり納得できているわけでもありません。しかし相当に説得力のある考え方であり、今後地形学―地学の世界で日本列島の主な地形営力が河川なのか海の波浪なのかを巡った議論が起きることは間違いないと思います。
さて、話は戻って、では堺田の分水嶺―二つに分かれている流れはどうなるか。高橋先生の解釈が正しければ、この流れは何か他の原因(斜面崩壊が起きるとか、断層で動くとか)で変化が起きなければ、このまま継続していくことになります。私にはどうもこちらの方が正しいように思えます。興味のある方は是非本をご覧ください。
「おじいさん」はランプ屋から本屋に商売を替えることができました。石炭労働者も石油プラントに限らずさまざまな職業に転進し、日本の戦後の高度経済成長を支えました。ところが現在のAI革命では事情が違います。車両の自動運転はそう遠からず実現するでしょう。運輸業では運転手不足が切実な問題になっているのでなおさらです。長距離の大型トラック運送では、拠点間の運転は自動化され、積み替えや個別配送のみが人力でとなるでしょうが、それすら将来的には自動化される可能性があります。
スーパーマーケットでも、今でもセルフレジがほとんどのところに設置されています。まだ慣れない人は有人レジに行っていますが、そうこうしているうちに有人レジはなくならないまでもごく少数になると思われます。
最近では証券会社がAIによる自動運用をせっせとコマーシャルしています。「×××(商品名)は、金融商品の選択から税金の最適化まで従来の資産運用のプロセスをすべて自動化。忙しく働く世代も手間なく資産運用を始められます」と言っていますが、証券マンはどうなるのでしょう?
「マルチモーダルAIの普及は、ビジネス環境において重要なトレンドになっています。マルチモーダルAIは、テキスト、画像、音声など複数のデータタイプを統合的に処理する能力を持ち、より複雑でリッチなアプリケーションの開発が可能になります」なんてことを言われたって、いったい何を言っているのかさっぱりわかりません。とにかく便利で高性能なAIなんだろうなあ・・、ということなんでしょう。
医師も、弁護士もAI化されるような話です。最近ではテレビのニュースもAIがアナウンスしています。最初の頃はなんとなく不自然だった発音も、今では全く自然な人の声に聞こえますよね。アナウンサーもいらなくなるのでしょうか。これまで就活で人気のあったホワイトカラー職こそ、もっともAIに向いているというのですから、いったいどんな職業が残っていくのでしょうか?
「サピエンス全史」で有名なイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、「21Lesson」
で次のように述べています。
AI革命とは、コンピューターが速く賢くなるだけの現象ではない。・・コンピューターは人間の行動を分析したり、人間の意思決定を予測したり、人間の運転者や銀行家や弁護士に取って代わったりするのがうまくなる。
過去に自動化の波が押し寄せたときには、人々はたいてい、それまでやっていた高度な技能を必要とせず、同じことを繰り返す仕事から、別のやはり単純な仕事に移ることができた。1920年に農業の機械化で解雇された農業労働者はトラクター製造工場で新しい仕事を見つけられた。1980年に失業した工場労働者はスーパーマーケットでレジ係として働くことができた。そのような転職が可能だったのは農場から工場へ、工場からスーパーマーケットへの移動には限られた訓練しか必要としなかったからだ。・・・
したがって人間のための新たな仕事が出てきても、新しい「無用者階級」の増大が起こるかもしれない。私たちは実際、高い失業率と熟練労働者不足という二重苦に陥りかねない。
というわけで、ベーシックインカム(最低所得保障)という考え方が出てきているのですが、何とも気鬱な社会が想像されます。
AIが人間に敵対し、支配するという「ターミネーター」のような世界が出現したり、人間がAIに政治や経済を委託することはないと思いますが(たぶん・・なんとなくですが)、多くの産業、業務に利用されていくでしょう。今後の社会は少子化とAI革命という二つの軸に沿って動いていくことは間違いありません。ランプを割って新しい商売をはじめられた「おじいさん」の牧歌的時代とは違います。
AI革命の波は私たち地質調査業、ボーリング業にもやがてやってくるでしょう。現在ではまだAIとは言えませんが、IT化は進んでいます。建設業ではすでにi-Constructionとして導入されています。現在建設されている秋田県の成瀬ダムでは自動化されたダンプカーやブルドーザーなどが堤体の盛り立てで活躍しています。測量、調査、設計でもBIM/CIM(Building/ Construction Information Modeling 構造物の形状や構造を立体的に表現した3次元モデルを構築し、計画から設計、施工、維持管理の事業プロセスで共有し、一元的に管理する手法)の導入が進んでいます。
ボーリングでも、全自動ボーリングマシンの研究と開発が行われていますが、これには高い壁があります。その理由は、
①土や岩盤などの目に見えない地中の世界を相手にしているため、パラメーターが複雑で地中の現象を推測し、判断するには経験が必要とされる。
②現在のボーリングマシンは構造が単純で分解、運搬、組み立てが比較的容易にできるので山岳地でのボーリングも可能だが、重く、複雑な全自動ボーリングマシンでは搬入が困難になる。
③原理的にはAIによる全自動ボーリングマシンの開発は可能だが、バックホーなどの重機に比べボーリングマシンの汎用性は低く、開発のための資金を回収するには大変高価なものとなる。したがってボーリングの単価も高額になる。
④現在のボーリングは建築基礎調査をのぞいてオールコア採取が主流であり、マシンが完成された状態になるまではコアの流失が多くなると思われる。これを容認することができるか。
以上の理由により、全自動による高価で不満足な調査結果よりも、現在の比較的安価で信頼性の高いボーリングが継続される可能性が高いと思われます。とはいえ、これから人手不足が深刻になることは明らかであり、重い労働負荷を軽減していく取り組みもおこなわなければなりません。全自動とは言わなくても、一定の自動化の取り組みは必要です。
ボーリングに限らず、医療や介護、対人関係の仕事などAIの影響の及びにくい職種はあります。しかし、これまで述べてきたようなさまざまな仕事がAIに取って代わられると予想されています。AIの開発が、本当に人が住みよい社会になるために利用されていくのか、現在のAIの開発の方向性を見ると、疑わしいかぎりです。
効率化や生産性の向上という名のもとに、人が金魚のように扱われる社会になってしまうのではないか、と疑ってしまいたくなります。AIの開発が、働く人を失業に追い込むのではなく、働く人の利益になるように進めてもらいたいし、それは十分可能なものだと思います。(今回はオチがありません)
「おじいさんのランプ」という新見南吉の児童小説があります。小学校の国語の教科書で読んだ記憶があるのですが、産業構造の転換とか技術革新ということが話題になるたびに思い出されます。あらすじは次のとおりです。
かくれんぼをして遊んでいた主人公の少年が、蔵の中で古いランプを見つけ、おじいさんからそのランプについての昔話を聞きます。
おじいさんは子供のころ孤児でしたが、いろいろな村の仕事をして村においてもらっていました。ある日隣の町に初めて出かけて行って、商店に吊るされているランプの明るさに驚きます。おじいさんの村にはランプがなかったのです。そしてランプ屋さんに頼み込んで、自分でランプを売る商売を始めます。ランプの販売は徐々に軌道に乗り、ランプ屋として成功したおじいさんはやがって結婚し、子供にも恵まれ幸せに暮らしていました。
ところがある日隣町に行くと、電信柱が建てられ、電気というものが引かれていました。電灯の明るさはランプとは比較にならないものでした。おじいさんは電気が来れば自分の商売が危うくなると怖れ、村に電気を引くことに反対しますが、村では電気の導入が決まってしまいます。
おじいさんは村の区長さんを逆恨みし、区長さんの家に火をつけようとしますが、持って行った火打石ではさっぱり火が付きません。「古くさいものはいざというときさっぱり役立たねえ・・」と舌打ちしたときにはっと気が付きました。ランプはもう古い道具になってしまったと。
そして商売道具のランプを全て持ち出し、火を灯して池のまわりの木に吊るし、泣きながらひとつひとつに石を投げつけて割っていきました。そうしてランプに別れを告げ、新しい商売を始めたのでした。
「古い商売が役に立たなくなったら、そいつをすっぱり捨てるのだ。・・いつまでも古い商売にかじりついていたら、昔の方が良かったと言ったり、世の中が進んだことを恨んだり、そんな意気地のないことは決してしないことだ。」
(青空文庫「おじいさんのランプ」新実南吉 より)
この作品は昭和17年(1942年)に刊行されたものです。作中でおじいさんがランプに出会ったのは13歳で日露戦争の頃だ、と言っています。ランプから電灯に変わったのは大正末期から昭和初期の頃でしょうか。明治、大正、昭和と変わり、時代の流れに応じて自分たちも変わっていこうという気概を感じさせます。
ランプから電灯のような変化は常にあります。歴史上最も大きな変化は約1万年前の農業革命でしょう。それまでの狩猟採取生活から定住した農業生活への変化は、人類史最大の革命的変化でした。また、18世紀の蒸気機関の発明から始まる第1次産業革命も、社会と人間のあり方を一変させ、その影響は現在まで続いています。
日本でも、明治維新は西欧の産業革命に対する日本の対応と見ることができます。昭和30年代の石炭から石油へのエネルギー資源の変化も産業構造の転換であり、産業革命のひとつでした。当時は炭鉱の閉鎖が続き、有名な三井三池炭鉱の労働争議もありました。こうした変化への抵抗は、イギリスの「ラッダイト運動(打ちこわし運動)」を代表として常にありました。そういう意味では「おじいさん」の対応は、変化を受け入れる潔い対応だったと言えます。
現在はIT革命からAI革命が起こりつつあり、第4次産業革命と言われています。ソフトバンクの孫正義社長が、2023年10月4日の講演で次のように述べています。
「AGI(Artificial General Intelligence 汎用人工知能と訳すようです)は、人類叡智の10倍です。AIがほぼすべての分野で人間の叡智を追い越してしまう。これがAGIのコンセプトです。このAGIの世界が今後10年以内にやってきます。そしてAGIの世界ではすべての産業が変わります。教育も変わる、人生観も変わる、生き様も変わる、社会のあり方、人間関係も変わるんです。」
そしてさらに10年後には(つまり20年後)には、AGIの知能は人類叡智総和の1万倍になると言います。
「1万倍となると人間対サルではなく、人間対金魚なんです。金魚のニューロンは人間の約1万分の1ですから。今後20年で人類の知能は、今の金魚と変わらないくらい差ができるということです。・・・人類の進化の源泉は願望にある。強い願望が人類の未来をAGIとともに作る。敵ではなく味方としてあらゆる進化を遂げる。活用するのか、取り残される金魚になりたいのか。日本よ、目覚めよ」と熱く語っています。
(ソフトバンクホームページ・ビジネスブログ2023年10月4日)
なんだかえらい話になってきました。
孫社長の話が本当なら、もはやAGIに人間の統治を任せればよいということになります。金魚が政治をやったってしょうがありませんよね。そうすれば戦争のない平和な世界になり、政治も経済運営もAGIにお願いすれば何の問題もありません。でもそれは、ジョージ・オーウェルの「1984」のビッグブラザーがAGIに変わっただけの恐ろしい世界になるような気がします。もしかすると、「ターミネーター」のスカイネットのような人間に敵対し、滅ぼそうとするものになるかもしれません(可能性ですけどね)。
能登半島地震の復興工事のボーリング調査に、当社でも2~3チームが行っていました。6月に現地の安全パトロールを兼ねて視察に行ってきました。いつもは能越道で七尾に行き、能登里山海道か一般道で現場に行くのですが、工事通行止めのため氷見北インターで下ろされました。
どこを通っていくと早いのかわからないので、車のナビの通りに走って行ったのですが、だんだん道は狭い急坂になり、本当にこの道でいいのか不安に思っていると、峠を越えさらに急坂になってしまいます。いったん車を止めてナビを拡大すると、国道が近くにあります。まあこれなら大丈夫だろうと下りていくと、突然平野がひらけ中能登町に出ました。あとで道路地図を確認すると、荒山峠を越えて邑知潟(おうちがた)平野に出たことがわかりました。

氷見北ICから中能登町まで通ったルート
羽咋市のある邑知潟平野から七尾湾までの低地は、国道159号線(七尾街道)やJR七尾線が北東-南西方向にほぼまっすぐに伸び、さらに七尾南湾に続いています。能登半島はこのまっすぐな平野によって南北に分かれています。北側の山地は先端の珠洲岬から宝立山、鉢伏山、河内岳と続き能登金剛の断崖で終わります。最高地点は鉢伏山の543mで、全体的に穏やかな山容ですが、日本海に面した北側、西側の海岸は急崖の岩石海岸が続いています。

能登半島の地形図
邑知潟平野を挟んだ南側の山地は、七尾市の観音崎を北端にして七尾城のある城山、石動山(564m)、宝達山(637m)と続き、倶利伽羅峠を越えると金沢平野に至ります。こちらも石動山、宝達山(能登半島の最高峰)がピークをなしていますが、穏やかな山容であることは北側山地と変わりません。
南北両側の山地に挟まれた直線的な平野―活断層の存在を連想させる地形です。政府地震本部のホームページで確認すると、邑知潟断層帯がありました。引用すると、
・邑知潟断層帯は石川県七尾市から鹿島郡中能登町、羽咋(はくい)市、羽咋郡宝達志水町を経て、かほく市に至る断層帯です。全体の長さは44kmで、ほぼ北東-南西方向にのびています。本断層帯は断層の南東側(山側)が北西側(平野側)に対して相対的に隆起する逆断層です。
そして将来に地震発生の可能性として
・地震の規模:M7.6程度(全体が動いた場合)
・地震の発生確率:30年以内に2%
・平均活動間隔:1,200年~1,900年
・最新の活動時期:約3,200年前から9世紀
としています。最新活動期の幅が広い(つまりいつ最後に活動したかよく分かっていない)ので、発生確率の信頼性は低いのですが、今後30年間で発生する確率がやや高いグループに属している、とされています。

石川県付近の断層帯の分布(政府地震本部より引用)
石川県の活断層を調べてみると、これ以外にも邑知潟断層帯の延長に金沢平野に続く森本・富樫断層帯、富山との境にある砺波平野・呉羽山断層帯があり、さらに南には庄川断層帯、牛首断層、跡津川断層などの大物の断層帯が控えています。昨年の能登半島地震は能登半島北部の海岸に沿った断層帯が動いたことがわかっていますが、それ以外にも能登半島とその周辺には大きな活断層があったのです。
ところでまた地形の話に戻るのですが、日本海へ流れ出す川と富山湾に流れ出す川(大きく言えばどちらも日本海ですが)の分水嶺は宝達山山地から倶利伽羅峠を経てさらに南に続いています。富山平野と金沢平野を分ける医王山(938.4m)山塊から徐々に標高を上げ、五箇山の西にある多子津山(1,311m)、奈良岳(1644m)、白川郷の西にある三方岩岳(1,736m)と続き、山容もどんどん険しくなっていきます。そして濃越県境(石川県と岐阜県の県境)の最高峰、白山(2,702m)に至ります。
荒山峠の分水嶺が白山まで続いていることは、今回地形図を追いかけて初めて気づきました。

石川県では今年の5月7日、県内で起こる新たな地震被害の想定をまとめ、発表しました。ここでは特に金沢市に近い森本・富樫断層帯を想定しています。そして防災対策について「不断の見直し」を行っていくと述べています。
活断層がいつ動くのか=地震がいつ発生するのかを確実に予想することは現在ではできません。なにしろ陸域の活断層の活動間隔は、数千年から長いものでは数万年です。森本・富樫断層帯の平均活動間隔は1,700年から2,200年程度、最新活動時期は2,000年から1,600年前くらいと評価されています。なるほどそろそろ動いてもおかしくないけれど、幅が数百年単位では、なかなか難しいところです。とはいえ、いつかは必ず動きます。いつ起きても対応できるように心づもりしておきましょう、というのが県の発表の意図だと思います。
これらの活断層が動く原因は太平洋プレートがユーラシアプレートを押し続けていることです。それはまた日本列島の隆起の原因でもあります。白山のある両白山地は中央山岳地帯とともに、第四紀の隆起量の大きい場所です。断層活動は地震を起こすだけでなく、山を隆起させ、美しい山岳景観を作る活動でもあります。
地球は別に人を苦しめようと思って地震を起こすわけではありません。また、絶景を作って楽しませようと思うわけでもありません。地殻は人の思惑とは無関係に動いています。それをどう受け止めるかは人の都合です。能登から白山への分水嶺を追いかけながらそんなことを考えました。

白山(標高2,702m)
倉庫で保護した子猫
6月の中頃から1ヶ月ほど、左手を包帯で巻いていたのですが、会う人会う人みんなから「どうしたの?」と聞かれました。「手を挟んだの?」とか「労災かい?」とかいろいろ聞かれて、「話せば長いことなんだけれど・・まあ、要するに猫に嚙まれたんだよ」と返事をしていました。ことの顛末を説明します。
昨年末から資材倉庫に猫が住み着いてしまいました。メスの茶トラ猫です。若い社員たちがかわいいからと、餌をあげるようになりすっかり居ついてしまったのです。困ったなあ、と思っていました。餌をあげるなら責任を取らなければならなくなるよ、と言ったのですが、みんな「馬耳東風」。年末年始も代わるがわる倉庫に行って面倒を見ていたようです。
暖かくなり、案の定猫のおなかが大きくなってきました。困ったぞ、まさか子猫を七北田川に投げるわけにはいかない、さてどうする、と相談はするもののなかなか結論が出ません。みんな気にしてゴールデンウィーク中も倉庫に行って様子を見ていたのですが、連休明けに4匹の子猫が生まれました。
4匹とも元気にミャーミャー鳴いています。かわいいもんですから「今日はあそこにいたよ」とかみんなで話しています。ボーリングマシンの下にいたり、機材の棚の下にいたり、母猫が安全な場所に動かしているようです。しだいに元気に動き回るようになり、とうとうトラックの荷台にいるところが発見されました。
これはまずい、気が付かずに現場まで連れて行ってしまうかもしれない。トラックの下にいるところをひいてしまうかもしれない。というわけで、猫ちゃん対策委員会を発足し、対策を協議しました。結論は以下のとおり。
1.母猫は捕獲器で捕まえ、避妊させる。
2.母猫の後に子猫も捕獲し、引き取り手を探す。
3.母猫も引き取り手を探すが、もし見つからない場合は、倉庫で地域猫として面倒を見る。
4.捕獲するのは子猫が乳離れする6月中旬とする。
子猫はかわいいので引き取り手は見つかりやすいと思いましたが、母猫は見つかるかどうか不安でした。社員に子猫の引き取り手の募集をかけたら、3人が手を上げてくれました。よしよし、何とかなりそうだなと、捕獲実行日に向けて手配を進めました。
6月12日、仙台市の動物管理センターから借りた捕獲器を設置すると、あっという間に母猫が入り、子猫も次々に捕まえることができました。動物管理センターの担当者の方から捕獲する2日前からは餌をあげないように、とアドバイスを受けていたのが効いたようです。
子猫は事務所に連れてきて、大きめの段ボールに入れて離乳食をあげ、ウンコ、シッコを取ってあげて引き取り手に渡すまで面倒をみました。早い子は当日、遅い子も15日には引き取られていきました。最初は4匹で固まっていたのですが、だんだん兄弟が少なくなり、最後の子は引き取られるまで寂しそうでした。とにかく人が近くにいればミャーミャー鳴いて「かまえ、かまえ」とせがむので大変です。
さて、母猫です。動物病院に避妊手術と猫エイズの検査を予約していたので、捕獲器からキャリーバックに入れ替え、動物病院に運ぶ予定でしたが、ここで問題発生。キャリーバックの中でウンコをして暴れてウンコまみれになってしまったのです。これでは動物病院に連れていけない。予約の時間は迫ってくるし、とにかく水をかけて洗おうと、キャリーバックから引っ張り出してホースで水をかけてガシガシと洗いました。ところが野良猫、そう簡単に洗わせてくれません。フンギャー!!と暴れて押さえつけた手にがぶがぶと嚙みついてきました。
ここで手を離したら二度と捕まらない、と思っているのでこちらも離しません。皮手袋のうえから噛みついてくる牙に耐えながら、二人がかりで洗い終えて、タオルで水を拭き取り、改めて洗ったキャリーバックの中に押し込んで動物病院まで連れていきました。
動物病院に母猫を預けて、速攻で治療のために外科に行きました。腰痛で行きつけの病院なのですが、「野良猫に手を出しちゃダメだよ」と先生に説教され、「そういうわけにはいかなかったんです」と説明し、薬を塗って包帯され、抗生物質を処方され「毎日治療に来なさい」と念を押されました。
母猫は手術と検査を終え、倉庫でケージに入って引き取り手が決まるのを待っていましたが、引き取りたいという人が社員の知り合いにいて、1週間ほどして倉庫から出ていきました。ずっと面倒を見てくれた社員はちょっと寂しそうでした。
以上が今回の猫騒動の顛末です。私の手の治療もようやく終わり、包帯が取れました。子猫たちはそれぞれ、マロ、ボタン、ヒナコと名付けられ(1匹は名前不明)すっかりそれぞれの家庭に慣れたようです。ボタンちゃんを引き取った家では、最初お父さんが猫を飼うことに頑強に反対していましたが、すでにメロメロ状態だそうです。子猫の可愛さは破壊的です。母猫もだいぶ慣れ、触らせてくれるようになってきたと聞いています。
何とか猫たちを保護することができて本当に良かった、と思っています。給餌や捕獲に協力してくれた皆さん、また、家族として引き取ってくれた皆さん、ありがとうございました。