あけましておめでとうございます。令和8年を迎えました。
昨年の年末年始は社内でインフルエンザが流行しましたが、今年は若干の感染者がでたものの、全体的には落ち着いた新年となりました。年始の業務も、寒波による積雪の影響で苦労している現場もありますが、比較的影響は少ないようです。
昨年末から日本を取り巻く国際情勢は波乱含みです。昨年からのアメリカの関税政策に加え、年始早々アメリカがベネズエラに電撃的軍事侵攻を行い、世界に衝撃を与えました。トランプ政権はさらにグリーンランドやパナマも自国権益に加えると宣言していますし、イランへの軍事介入も示唆しています。ウクライナ戦争や中東・ガザ紛争の収束の兆しが見えないなか、混迷が深まりそうな様子です。
アメリカの調査会社ユーラシア・グループが発表している恒例の「世界の10大リスク2026」では、「アメリカの政治革命」をトップにあげています。アメリカ政府の機能不全が世界的危機への対応不全に陥るという指摘です。また、日本のメディアではあまり取り上げられませんが、すでにアメリカは内戦一歩手前だという指摘もあります。一去年のアメリカ映画「シビル・ウォー」が現実になる、というものですね。
わが国でも昨年末の高市首相の「台湾有事がわが国の存立危機事態になりうる」という発言により、日中関係が国交回復以来最悪の環境になり、最近では中国がレア・アースの禁輸を示唆する事態になっています。
安定した経済は安定した政治・政策がなければ実現しませんが、こうした政治環境に対して、特にアメリカの政策に対して私たちができることはありません。昨年の年始のブログで「安全保障を含め、わが国の進路もわかりにくい多難なものになっていくことは間違いないでしょう」と書きましたが、これは今年も変わりなく、さらに厳しくなるでしょう。なかなか明るい未来を描くことが難しい時代になってきています。
ところで2025年の日本の出生数は66万5千人という見通しです(日本総研12月4日発表)。20年前、2005年の出生数は106万人ですから、20年で62%になっています。つまり20年後には20歳の学生数、労働者数もおよそ6割になるということです。大変厳しい見通しです。しかし一方でこの60万人の世代に対して私たちは責任を負っています。
どのような社会を彼らに贈るのか、20年後に暗い未来ではなく、明るい未来を贈ることができるようにしなければなりません。政治家だけでなく、今の社会の構成員全体が責任を負う必要があります。少なくともわが国が戦渦に巻き込まれることなく、民主主義が守られる社会にしていきたいものです。そんな心配をしなければならない世相になってしまいました。
こんなことを考える新年になりましたが、何はともあれ、今年もまた安全第一で役職員一同業務に取り組んでいきます。顧客の皆様には今年も引き続きご愛顧賜りますようお願い申し上げます。

1月5日の安全祈願祭
7月16日のブログ「猫騒動の顛末」で、当社で保護した子猫たちを紹介しました。その後、子猫たちはどうなったかといろいろな人から聞かれる機会がありました。母猫に嚙みつかれて治療を受けた外科の看護士さんからも聞かれました。というわけでその後の様子をお知らせします。
社員に引き取られた、マロ、ボタン、キナコの3匹のうち、ボタンちゃんは残念ながら2か月後に亡くなってしまいました。生まれつき心臓に疾患があったそうです。先住の犬と仲良く遊んでもらっていたそうですが、かわいそうなことでした。
マロちゃん、キナコちゃんはずいぶん大きくなり、すっかりそれぞれの家庭になじんでかわいがられています。では現在の様子をどうぞ。

キナコちゃん 炊飯器がお気に入り

マロちゃん サングラスが堂にいっています

同じくマロちゃん

マロちゃん 幸せそうな寝顔ですね
宮城県大崎市から山形県新庄市を結ぶ国道47号線はJR陸羽東線と並行し、奥羽山脈を横断する幹線道路です。宮城県側から行くと、鳴子温泉、中山平温泉を過ぎ、県境にむかって緩やかに登っていきます。松尾芭蕉が「奥の細道」で通ったコースでもあります。県境を過ぎ最上町に入ったところに芭蕉が泊まって「蚤虱馬の尿する枕もと」と詠んだ封人の家があります。国の重要文化財です。

古川―新庄のルート(地理院地図を編集)

国道47号線沿いにある「封人の家」
封人の家の向かいに「堺田の分水嶺」という看板があり、細い道を下りていくとJR堺田駅のそばに小さな池があります。そして写真にあるように「⇦日本海・太平洋⇨」の看板があります。この小さな池からの二つの流れは日本海と太平洋に分かれているのです。

堺田の分水嶺の池
分水嶺とは読んで字のごとく、水を分ける嶺です。奥羽山脈は日本海と太平洋を分ける山々の連なりですが、奥羽山脈の東側に降った雨は太平洋に、西側に降った雨は日本海に流れ、決して交わることがありません。この分水嶺(地形学では分水界といいます)の中で嶺ではなく谷が分水界になっているところがあり、これを谷中分水界と呼びます。
平凡社の地形学辞典によると「谷底にある分水界。谷分水ともいう。ひとつの連続した谷の中で、谷の横断方向にのびる低い高まりが分水界となって、二つの河流が反対方向に流れる場合にいう。河川の争奪などにより生ずる。」となっています。
谷中分水界は日本全国至る所にあり、珍しいのもではありませんが、ひとつの流れが完全に二つに分かれ太平洋と日本海に流れ出る地形はめったにありません。この地形で有名なものが京都丹波市にある「石生の水分れ(いそうのみわかれ)」です。南への流れは加古川水系高谷川として瀬戸内海へ、北への流れは由良川水系黒井川として日本海へ流出します。現在は水分れ公園の水路が人工的に固定されています。下の地図では、石生駅の南側卍マークと〶マークをつないだあたりが分水界にあたります。とてもここが分水界とは思えない平坦な場所です。

石生の谷中分水界(地理院地図を編集)
以前、由良川の流路を地形図で追いかけていて、いつの間にか加古川から瀬戸内海に入ってしまい、「どこで間違えたのかなあ」と何度たどり直しても同じ結果になり、改めて調べて谷中分水界のことを知ったという経験がありました。このあたりの河川流路は非常に複雑です。
堺田の谷中分水界も、北上川水系大谷川と最上川水系明神川の共通の源流部であり、そこから二つの流れとして分かれています。先ほどの地形学辞典で「河川の争奪などにより生ずる」と書いてありましたが、「河川争奪」はちょっと難しい概念ですので説明が必要です。
「分水界を共有する2本の河川の一方または両方の頭方浸食または側刻によって分水界が低下し、ついには両河川が接触したために、河川高度の高い方の河川が低い方の河川に流入して、前者の流域変更が起こる現象である。争奪した河川を争奪河川と呼び、争奪された河川の上流部を被奪河川、その上流部を奪われ短縮された元の河川の下流部を斬首河川、その争奪地点を争奪の肘とそれぞれ呼ぶ。その肘、つまり斬首河川の上流端に生じた谷中分水界を風隙と呼ぶ。」(鈴木隆介「建設技術者のための地形図読図入門」より)
この説明でも難しいですが、図を見ると多少わかりやすくなります。二つの川が浸食によって接触し、浸食力の強い川が弱い川の上流部を奪い、奪われた川は流量の少ない細い流れになり、分不相応な平地が残され、そこが谷中分水界になる、という考え方です。

河川争奪の概念図
はじめて堺田の分水嶺を見た時には、ここで太平洋と日本海が一つの流れでつながっていることに感動しました。そして、こここそが今河川争奪が起きている現場に違いないと直感しました。大谷川と明神川のどちらか、浸食力の強い川がこの流れを奪取し、数十年か数百年後には、ひとつの流れになり池もなくなる、この池の場所が争奪の肘になると思ったのです。
で、このことをブログにいつか書こうと思っていたのですが、地形図を改めて見るとどうも腑に落ちないのです。江合川の支流である大谷川は、鳴子の合流点から上流で鳴子峡の深い谷を刻み、堺田の分水界に向かいます。一方の小国川の支流明神川は赤倉温泉の盆地から比較的穏やかに分水界に向かいます。直感的には大谷川の浸食力が強いように感じます。しかし分水界に近づくにつれ深い谷はなくなり、流れは穏やかになります。

堺田分水嶺付近の地形(地理院地図を編集)
地形図上で合流点から分水界までの長さと高さの比を計測してみると、概略ですが、大谷川は0.017、明神川は0.019、ほぼ同じかやや明神川の傾斜が急なくらいです。どちらが争奪河川になるか不明です。そして何よりどちらの川も本流は堺田の谷に入る前に北の大柴山(1082m)に向かって曲がっているのです。分水界の池に流れこんでいる沢は、地形図上に現れないか細い流れにすぎません。これでこの分水界で河川争奪が起こるのでしょうか。
ところで河川争奪は実際に起きていることが現認された現象ではありません。河川争奪の結果できたと考えられている谷中分水界は日本中にありますが、それが起きた現場を見た人はいないのです。古文書で「昨日までの川の流れが今朝になったら別の川になっていた」などというものは確認されていません(たぶん)。つまり河川争奪は、現在の地形から見てこういう現象が起こったと考えると合理的に説明できる、という仮説です。
自然科学ではこうした仮説にもとづく議論はごく普通であり、地形のような長い時間をかけて出来上がるものにはつきものです。地形学の中でも準平原、先行谷なども同じような概念と言えます。いずれにしても堺田の地形をどう見るか、私にはわからなくなってしまい、ブログのアイデアはしばらくお蔵入りとなったのでした。
ところが全く別の方向から堺田の分水嶺についての解釈が表れました。それは元産総研研究主幹高橋雅紀先生の「分水嶺の謎」「準平原の謎」「蛇行河川の謎」という3冊のシリーズです(この後も続くようです)。高橋先生は「ブラタモリ」の解説でおなじみですが、地質学者として日本列島の成立について重要な研究をされてきていました。
私も先生の「東西日本の地質学的境界」以来、論文を読んできて、すごい研究だなあと思いつつ難解でもあり、分かりやすく本にまとめてくれないものか、と期待していたのですが、地形学の方向から研究を発表されるとは驚きました。
高橋先生の地形の解釈は、デービス(アメリカの地形学者)以来の地形学を根本からひっくり返す画期的なものです。地表地形の形成は河川による浸食を主な営力としている、という私たちが長年親しんできた考え方から、日本では東西圧縮による隆起時の海の営力(波浪による浸食)を主としているという転換です。
この考えによると、堺田の分水嶺は奥羽山脈が隆起してくるときの海峡の名残であり、谷を作ったのは海の波浪です。堺田の分水嶺だけでなく、奥羽山脈を横断するルートである北上―横手間の巣郷峠、白石―米沢の七ヶ宿峠もみな同じです。
高橋先生の「峠は海から生まれた(「分水嶺の謎」のキャッチコピー)」という考え方は、まだ地学の世界で一般的に認められたものではありませんし、私自身すっかり納得できているわけでもありません。しかし相当に説得力のある考え方であり、今後地形学―地学の世界で日本列島の主な地形営力が河川なのか海の波浪なのかを巡った議論が起きることは間違いないと思います。
さて、話は戻って、では堺田の分水嶺―二つに分かれている流れはどうなるか。高橋先生の解釈が正しければ、この流れは何か他の原因(斜面崩壊が起きるとか、断層で動くとか)で変化が起きなければ、このまま継続していくことになります。私にはどうもこちらの方が正しいように思えます。興味のある方は是非本をご覧ください。
「おじいさん」はランプ屋から本屋に商売を替えることができました。石炭労働者も石油プラントに限らずさまざまな職業に転進し、日本の戦後の高度経済成長を支えました。ところが現在のAI革命では事情が違います。車両の自動運転はそう遠からず実現するでしょう。運輸業では運転手不足が切実な問題になっているのでなおさらです。長距離の大型トラック運送では、拠点間の運転は自動化され、積み替えや個別配送のみが人力でとなるでしょうが、それすら将来的には自動化される可能性があります。
スーパーマーケットでも、今でもセルフレジがほとんどのところに設置されています。まだ慣れない人は有人レジに行っていますが、そうこうしているうちに有人レジはなくならないまでもごく少数になると思われます。
最近では証券会社がAIによる自動運用をせっせとコマーシャルしています。「×××(商品名)は、金融商品の選択から税金の最適化まで従来の資産運用のプロセスをすべて自動化。忙しく働く世代も手間なく資産運用を始められます」と言っていますが、証券マンはどうなるのでしょう?
「マルチモーダルAIの普及は、ビジネス環境において重要なトレンドになっています。マルチモーダルAIは、テキスト、画像、音声など複数のデータタイプを統合的に処理する能力を持ち、より複雑でリッチなアプリケーションの開発が可能になります」なんてことを言われたって、いったい何を言っているのかさっぱりわかりません。とにかく便利で高性能なAIなんだろうなあ・・、ということなんでしょう。
医師も、弁護士もAI化されるような話です。最近ではテレビのニュースもAIがアナウンスしています。最初の頃はなんとなく不自然だった発音も、今では全く自然な人の声に聞こえますよね。アナウンサーもいらなくなるのでしょうか。これまで就活で人気のあったホワイトカラー職こそ、もっともAIに向いているというのですから、いったいどんな職業が残っていくのでしょうか?
「サピエンス全史」で有名なイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、「21Lesson」
で次のように述べています。
AI革命とは、コンピューターが速く賢くなるだけの現象ではない。・・コンピューターは人間の行動を分析したり、人間の意思決定を予測したり、人間の運転者や銀行家や弁護士に取って代わったりするのがうまくなる。
過去に自動化の波が押し寄せたときには、人々はたいてい、それまでやっていた高度な技能を必要とせず、同じことを繰り返す仕事から、別のやはり単純な仕事に移ることができた。1920年に農業の機械化で解雇された農業労働者はトラクター製造工場で新しい仕事を見つけられた。1980年に失業した工場労働者はスーパーマーケットでレジ係として働くことができた。そのような転職が可能だったのは農場から工場へ、工場からスーパーマーケットへの移動には限られた訓練しか必要としなかったからだ。・・・
したがって人間のための新たな仕事が出てきても、新しい「無用者階級」の増大が起こるかもしれない。私たちは実際、高い失業率と熟練労働者不足という二重苦に陥りかねない。
というわけで、ベーシックインカム(最低所得保障)という考え方が出てきているのですが、何とも気鬱な社会が想像されます。
AIが人間に敵対し、支配するという「ターミネーター」のような世界が出現したり、人間がAIに政治や経済を委託することはないと思いますが(たぶん・・なんとなくですが)、多くの産業、業務に利用されていくでしょう。今後の社会は少子化とAI革命という二つの軸に沿って動いていくことは間違いありません。ランプを割って新しい商売をはじめられた「おじいさん」の牧歌的時代とは違います。
AI革命の波は私たち地質調査業、ボーリング業にもやがてやってくるでしょう。現在ではまだAIとは言えませんが、IT化は進んでいます。建設業ではすでにi-Constructionとして導入されています。現在建設されている秋田県の成瀬ダムでは自動化されたダンプカーやブルドーザーなどが堤体の盛り立てで活躍しています。測量、調査、設計でもBIM/CIM(Building/ Construction Information Modeling 構造物の形状や構造を立体的に表現した3次元モデルを構築し、計画から設計、施工、維持管理の事業プロセスで共有し、一元的に管理する手法)の導入が進んでいます。
ボーリングでも、全自動ボーリングマシンの研究と開発が行われていますが、これには高い壁があります。その理由は、
①土や岩盤などの目に見えない地中の世界を相手にしているため、パラメーターが複雑で地中の現象を推測し、判断するには経験が必要とされる。
②現在のボーリングマシンは構造が単純で分解、運搬、組み立てが比較的容易にできるので山岳地でのボーリングも可能だが、重く、複雑な全自動ボーリングマシンでは搬入が困難になる。
③原理的にはAIによる全自動ボーリングマシンの開発は可能だが、バックホーなどの重機に比べボーリングマシンの汎用性は低く、開発のための資金を回収するには大変高価なものとなる。したがってボーリングの単価も高額になる。
④現在のボーリングは建築基礎調査をのぞいてオールコア採取が主流であり、マシンが完成された状態になるまではコアの流失が多くなると思われる。これを容認することができるか。
以上の理由により、全自動による高価で不満足な調査結果よりも、現在の比較的安価で信頼性の高いボーリングが継続される可能性が高いと思われます。とはいえ、これから人手不足が深刻になることは明らかであり、重い労働負荷を軽減していく取り組みもおこなわなければなりません。全自動とは言わなくても、一定の自動化の取り組みは必要です。
ボーリングに限らず、医療や介護、対人関係の仕事などAIの影響の及びにくい職種はあります。しかし、これまで述べてきたようなさまざまな仕事がAIに取って代わられると予想されています。AIの開発が、本当に人が住みよい社会になるために利用されていくのか、現在のAIの開発の方向性を見ると、疑わしいかぎりです。
効率化や生産性の向上という名のもとに、人が金魚のように扱われる社会になってしまうのではないか、と疑ってしまいたくなります。AIの開発が、働く人を失業に追い込むのではなく、働く人の利益になるように進めてもらいたいし、それは十分可能なものだと思います。(今回はオチがありません)
「おじいさんのランプ」という新見南吉の児童小説があります。小学校の国語の教科書で読んだ記憶があるのですが、産業構造の転換とか技術革新ということが話題になるたびに思い出されます。あらすじは次のとおりです。
かくれんぼをして遊んでいた主人公の少年が、蔵の中で古いランプを見つけ、おじいさんからそのランプについての昔話を聞きます。
おじいさんは子供のころ孤児でしたが、いろいろな村の仕事をして村においてもらっていました。ある日隣の町に初めて出かけて行って、商店に吊るされているランプの明るさに驚きます。おじいさんの村にはランプがなかったのです。そしてランプ屋さんに頼み込んで、自分でランプを売る商売を始めます。ランプの販売は徐々に軌道に乗り、ランプ屋として成功したおじいさんはやがって結婚し、子供にも恵まれ幸せに暮らしていました。
ところがある日隣町に行くと、電信柱が建てられ、電気というものが引かれていました。電灯の明るさはランプとは比較にならないものでした。おじいさんは電気が来れば自分の商売が危うくなると怖れ、村に電気を引くことに反対しますが、村では電気の導入が決まってしまいます。
おじいさんは村の区長さんを逆恨みし、区長さんの家に火をつけようとしますが、持って行った火打石ではさっぱり火が付きません。「古くさいものはいざというときさっぱり役立たねえ・・」と舌打ちしたときにはっと気が付きました。ランプはもう古い道具になってしまったと。
そして商売道具のランプを全て持ち出し、火を灯して池のまわりの木に吊るし、泣きながらひとつひとつに石を投げつけて割っていきました。そうしてランプに別れを告げ、新しい商売を始めたのでした。
「古い商売が役に立たなくなったら、そいつをすっぱり捨てるのだ。・・いつまでも古い商売にかじりついていたら、昔の方が良かったと言ったり、世の中が進んだことを恨んだり、そんな意気地のないことは決してしないことだ。」
(青空文庫「おじいさんのランプ」新実南吉 より)
この作品は昭和17年(1942年)に刊行されたものです。作中でおじいさんがランプに出会ったのは13歳で日露戦争の頃だ、と言っています。ランプから電灯に変わったのは大正末期から昭和初期の頃でしょうか。明治、大正、昭和と変わり、時代の流れに応じて自分たちも変わっていこうという気概を感じさせます。
ランプから電灯のような変化は常にあります。歴史上最も大きな変化は約1万年前の農業革命でしょう。それまでの狩猟採取生活から定住した農業生活への変化は、人類史最大の革命的変化でした。また、18世紀の蒸気機関の発明から始まる第1次産業革命も、社会と人間のあり方を一変させ、その影響は現在まで続いています。
日本でも、明治維新は西欧の産業革命に対する日本の対応と見ることができます。昭和30年代の石炭から石油へのエネルギー資源の変化も産業構造の転換であり、産業革命のひとつでした。当時は炭鉱の閉鎖が続き、有名な三井三池炭鉱の労働争議もありました。こうした変化への抵抗は、イギリスの「ラッダイト運動(打ちこわし運動)」を代表として常にありました。そういう意味では「おじいさん」の対応は、変化を受け入れる潔い対応だったと言えます。
現在はIT革命からAI革命が起こりつつあり、第4次産業革命と言われています。ソフトバンクの孫正義社長が、2023年10月4日の講演で次のように述べています。
「AGI(Artificial General Intelligence 汎用人工知能と訳すようです)は、人類叡智の10倍です。AIがほぼすべての分野で人間の叡智を追い越してしまう。これがAGIのコンセプトです。このAGIの世界が今後10年以内にやってきます。そしてAGIの世界ではすべての産業が変わります。教育も変わる、人生観も変わる、生き様も変わる、社会のあり方、人間関係も変わるんです。」
そしてさらに10年後には(つまり20年後)には、AGIの知能は人類叡智総和の1万倍になると言います。
「1万倍となると人間対サルではなく、人間対金魚なんです。金魚のニューロンは人間の約1万分の1ですから。今後20年で人類の知能は、今の金魚と変わらないくらい差ができるということです。・・・人類の進化の源泉は願望にある。強い願望が人類の未来をAGIとともに作る。敵ではなく味方としてあらゆる進化を遂げる。活用するのか、取り残される金魚になりたいのか。日本よ、目覚めよ」と熱く語っています。
(ソフトバンクホームページ・ビジネスブログ2023年10月4日)
なんだかえらい話になってきました。
孫社長の話が本当なら、もはやAGIに人間の統治を任せればよいということになります。金魚が政治をやったってしょうがありませんよね。そうすれば戦争のない平和な世界になり、政治も経済運営もAGIにお願いすれば何の問題もありません。でもそれは、ジョージ・オーウェルの「1984」のビッグブラザーがAGIに変わっただけの恐ろしい世界になるような気がします。もしかすると、「ターミネーター」のスカイネットのような人間に敵対し、滅ぼそうとするものになるかもしれません(可能性ですけどね)。