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北上川についていろいろ(2)北上川上流域とカスリーン・アイオン台風

2020年08月20日

 私が卒業した高校は、北上川の支流磐井川のそばにありました。まだカスリーン・アイオン台風の記憶も残っており「学校のそばの××にはまだ死体が埋まっていて、夜な夜なユーレイが出るんだぞ」と先輩に脅かされたものです。

 こんな話があるように、一関の人々にとってこの台風による水害の記憶は大きく、一関市内には最高水位標が掲示されています。

       一関駅前にあるカスリーン台風、アイオン台風の洪水水位標

 北上川上流域(岩手県側)の水害の歴史を見ると、元和元(1617)年から元治元(1864)年までの247年間で168回の洪水があった、つまり10年に7回の洪水があったとされています(宮城県史・災害年表など)。雫石川が合流する盛岡市、猿ヶ石川、豊沢川が合流する花巻市付近、和賀川が合流する北上市、胆沢川が合流する水沢市、磐井川が合流し狐禅寺狭窄部の上流にあたる一関市から平泉町、さらに狭窄部内にある薄衣、黄海、日形といった各地域が水害の頻発地点として知られています。

 大出水によって氾濫がおきやすい場所はある程度決まっています。

①本流と支流の合流点

②河川の大きな屈曲部と河川勾配の大きな変換点

③河川の狭窄部(きょうさくぶ=狭くなっているところ)とその上流

④流木が引っ掛かる橋などの構造物があるところ

 日本の大河川は、一般的に上流の盆地(あるいは盆地列)から狭窄部を通って河口のある平野部に抜けるという共通した傾向があります。例えば信濃川(千曲川)は、上田盆地―長野盆地―立ヶ花狭窄部―飯山盆地―戸狩狭窄部と二つの大きな狭窄部を通って新潟県平野部に出ます。当然のことですが、洪水により水量が多くなると狭窄部で流量が制限されるため、上流の水位が上昇し氾濫被害を大きくします。

 先ほどあげた北上川上流域の水害の頻発地点のなかでも、最も被害が深刻な地域は狐禅寺狭窄部の直上流にあたる一関市でしょう。このことをはっきり示し、その後の北上川流域の治水のあり方を変えたのが、第二次大戦直後に日本を襲ったカスリーン、アイオンの二つの台風でした。

 カスリーン台風は1947年(昭和22年)9月14日から15日にかけて日本付近を通過し(通過時の中心気圧970Hpと推定)関東、東北地方に甚大な浸水被害をもたらしました。関東では利根川、荒川が破堤し、東京都足立区、葛飾区、江戸川区が水没、全国での死者・行方不明者は1,930人になりました。一関市では、停滞していた秋雨前線が刺激され、9月15日の夕方に北上川右支流、磐井川の両岸堤防が破堤し、山目地区を中心に100名の死者が出ました。

     アイオン台風による一関市の被害:一関市ホームぺージより

 それからちょうど1年後の昭和23年9月15日~16日、伊豆半島から房総半島に上陸したアイオン台風は、太平洋岸に沿って北上し、特に東北地方の太平洋側に豪雨をもたらしました。全国での死者・行方不明者は838名に上りました。一関地方の総雨量は403mm、磐井川が増水して、復旧したばかりの堤防が再び破堤、北上川本流に合流した後市街地に逆流。一関での死者・行方不明者は473名でした。

 北上川狐禅寺での最高水位は、カスリーン台風時に17.58m、アイオン台風時に15.38m、この記録は現在でも破られていません。

千歳橋から見た狐禅寺狭窄部入り口:山が迫ってきて川幅が狭くなることがわかる