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温暖化について(1) 歴史学としての地質学

2020年03月18日

 地球温暖化への取り組みや、SDGs(持続可能な開発目標)に代表される環境問題の重要性が強く言われる時代になってきました。中小企業である当社はなかなか取り組めていないのが実情ですが、一方で地質をメシのタネにしているため、地球環境問題について考える機会は多々あります。これについて今回は意見を述べてみたいと思います。なお、これは会社としての意見ではなく、代表熊谷の個人的な見解です。

 高校の地学の授業で、先生からおまけのように、プレートテクトニクスの話がありました。
「アメリカで考えられている理論で、太平洋がどんどん日本のほうに向かって動いているっつう説があるんだどや。プレートテクトニクスというんだどさ」
 で、クラスメートと話をしました。
「つーことは、そのうちハワイが日本さ来るんだべが?」
「んだ、そしたら岩手県さくっついで、岩手の面積増えんでねえが」
「それよりか、本場のハワイが岩手県さ来るんだっちゃ。福島の常磐ハワイアンセンターより観光客がいっぱい来たりして・・・」

 1970年代の岩手県の少年の意見です。
 時が流れ、地質の勉強を多少するようになって、そんなことがないことはわかりましたが、「プレートテクトニクス理論」のインパクトはとても大きいものでした。
 プレートテクトニクス理論は地質学の革命であり、まさにパラダイムの転換です。そして何よりも、この理論によって、これまで闇のかなたにあった地球の歴史が相当程度明らかになってきました。
平朝彦先生の「日本列島の誕生」や、丸山茂徳先生の「生命と地球の歴史」を読んだ時の「地質学によってここまで地球の歴史はわかってきたのか」という新鮮な感動は忘れられません。これらの本はプレートテクトニクス理論を応用することで書かれていました。
 元日本地質学会会長の木村学先生は次のように書いています。
「歴史学とは、過去において起きた事件、特にその前と後に大きな変化を及ぼすような事件に注目し、その原因を探る学問と定義すれば、まさに地球の歴史を探る地質学は、歴史学そのものといえます。」(木村学著「地質学の自然観」より)
 地質学誕生のもとは、例えばなぜそこに山があるのか、なぜ山の上に貝や魚の化石があるのかといった疑問を解こうとするものでした。アルプスやヒマラヤの高い山の上になぜ海の生き物の化石があるのか、昔はそれを聖書にあるノアの大洪水によって運ばれたものだと考えた人もいたそうです。それが「洪積世」すなわち洪水で堆積した時代、という言葉として残っています。
 私が高校の地学で学んだのは「地向斜造山論」というものでした。日本列島も昔から今の位置にあり、堆積や沈降、火山活動が繰り返し起こって今の日本列島になったという考え方です。プレートテクトニクス理論は、そうした考えを打ち破り、ダイナミックなプレートの水平移動によって現在の地球の形が生まれたと説いたのです。
 プレートテクトニクス理論によって大陸の成因が明らかになっただけでなく、古地磁気学、年代測定法、微化石分析技術などと組み合せることで、過去の地球の環境がどのようなものだったのかが、徐々に明らかになってきています。それは、地球環境の変動がこれまで考えられてきたものよりもはるかに大きいというものでした。そうした例としてよく知られているものに「スノーボールアース仮説(全地球凍結仮説)」があります。

 約24億年前から21億年前と、8.5億年前から6.3億年前の2回(3回という説もあるようです)地球表面全体が氷におおわれていたという仮説で、現在地球史研究者の間で主流になりつつある考えです。
 寒冷化の流れはこうです。
・大陸の成長により、二酸化炭素が炭酸塩鉱物として取り込まれたことと、酸素排出生物(シアノバクテリア-酸素発生型光合成をおこなう細菌などの微生物)の活動によって、大気中の二酸化炭素が減少した。
・温室効果の減少により地球全体が寒冷化し、極地から氷床が発達した。
・氷床が太陽光を反射し、太陽からの熱の吸収が少なくなり一層寒冷化が進んだ。
・寒冷化がますます加速し、氷床が全地球を覆い、1億年から2億年ほど続いた。
・深海底や地表の火山活動は残り、大気中に二酸化炭素が少しずつ排出された。海面や地表が氷に覆われているため、二酸化炭素が吸収されず二酸化炭素濃度が徐々に高まっていった。
・温室効果により急激に気温が上昇した。
・地表の氷が解けた。
 この全地球凍結により、当時の生物(といっても原始的な単細胞生物ですが)大量に絶滅するとともに、解凍後には新たな生物が登場したと考えられています。24億年前の全地球凍結後に酸素呼吸する真核生物の繁栄が始まり、6億年前の全地球凍結後は、エディアカラ生物群という大型生物の出現が起きたと考えられています。
 地質学が明らかにした地球の歴史は、それまでの想像以上に大きく地球は変化してきたというものだったのです。


            

          エディアカラ生物群の想像図(第一学習社「生物」より)


忍法「分身の術」

2020年01月31日

 会社の休み時間にみんなと話していて、こんな話題が出ました。
 「仕事をしているときに、もう一人自分がいればなあ、と思う時があるよね」
 「そうそう、相手が自分だったらくどくど説明しなくてもいいし、すぐ話が通じるからいいよね」
 「そうなんだよ、忙しいときはなおさら部下が自分だったらと思うよ。自分がやりたいことが何かわかってくれるし」
 みんなで「そうだよねー」と言って笑ったのですが・・。
 これは私もよく思ったことがあります。予定を決めていても、別の用事が入っててんてこ舞いしたり、片方の予定を断わるために頭を下げたりすることはよくあることです。また、部下がなかなか自分の言うことを理解してくれない、指示してもそのとおりにやってくれないということもよくある話です。そうすると「あー面倒くさい、自分がもう一人いて部下だったら楽なのになあ・・」と思ってしまいます。
 自分が二人いて一緒に仕事をすれば確かに楽ですよね。同じことを考えているのだから説明の必要が無い、しかも自分と同じにやってくれる。
 忍者の知識、忍術の腕前を競う「甲賀流忍者検定」という試験があり、筆記試験、実地試験(手裏剣の腕前を競う)に、昨年は全国から142人が参加したそうです。こんな新聞記事を読んで、つい、分身の術が使えるようにならないものか、と思いましたが、はたと考えました。本当に自分の分身が会社の中にもう一人、いや10人いてうまくいくものだろうか?
 
 分身の術で現れた【自分】はきっと「おれが社長だ!」といい始めます。
 「おれは経理みたいな面倒なことはしたくない」とか「なんでボーリングの助手をしなきゃいけないんだ」とか言い出します。
 「ボーリング助手はきついけれど、わが社にとっては大事な仕事だよ。分身1号、君がやりなさい。経理は2号君がしなさい」
 「そんなに大事な仕事ならお前がやればいいではないか、不公平だ!」
 「いやいや私は本体で君は分身だろう。分身がやるのが当然だ」
 「分身といっても君と私は同じだ」・・・・
 仕事の前にこんな言い争いが延々と続くような気がします。
 会社は営利を目的にしているので、なるべく有能な人が効率的に動くことが望ましいのは言うまでもありません。けれども分身の術のようにまったく同じ人だけではうまくいかないのです。野球でよく「四番打者だけではチームはできない」といわれるのと同じですね。
 世の中がそうであるように、会社も相対的に能力の高い人もいれば低い人もいる、短気な人やのんびりした人、細かいところに気付く人や大雑把な人、などなどさまざまな特徴の人でできあがっています。そのそれぞれの特徴を生かしながら一緒に仕事をしていくしかありません。「自分と同じような人だけでやればうまくいく」という思いは幻想にすぎないし、また組織の発展を阻害していく要素にもなりかねません。
 それぞれの社員が自分の特徴と個性のいいところを伸ばしながら働いて行ける環境をいかに作っていくのか、ということはすべての会社に常に問われ続ける課題です。
 ところで、「分身の術」というと忍者マンガだけの世界のものと思われていますが、昔、駿河の国に伝わった「無極量情流」という古武道の流派の秘伝書に「真言の呪文を唱えて七人に分身する技」というものがあったそうです。本当かなあ・・・。


令和2年を迎えて

2020年01月08日

  新年あけましておめでとうございます。
  今年の4月までは何でも令和初めてですので、令和初めての新年のご挨拶となります。
  昨年は、社員、協力会社の皆さんの努力で事故らしい事故もなく無事業務を終えることができました。1月6日に、二柱神社の神職をお迎えし、今年一年無事故、無災害で仕事ができるよう、全員で安全を祈願しました。

安全祈願祭

             安全祈願祭

 
  二柱神社は、市名坂、七北田の鎮守のお社です。初詣にも行ってきました。連年のように災害が続いており、宮城県でも昨年は台風19号による大きな被害がありましたが、今年は何とか災害のない、穏やかな一年でありますようにとお祈りしてきたところです。

             二柱神社の初詣

  当社にもさまざまな課題があります。すべていっぺんに解決できるわけではないので、ひとつひとつクリアしていけるように社員一同頑張っていきたいと思います。皆さん今年もよろしくお願いします。また、引き続きこのブログでも防災についてのいろいろな話題や資料、会社の考え方について書いていきたいと思っています。少しでも興味を持ち、考えていだたければ幸いです。
  


地形という災害の記録

2019年12月11日

 遅まきながら、全地連(全国地質調査業協会連合会)主催の2018年度応用地形判読士2次試験の問題を見てみました。この問題で取り上げられた地形について感想を述べます。
 問題は、国土地理院の旧版地形図「祇園」図幅(昭和23年8月30日発行)の部分について、考えられる災害の種類とその原因を記述せよ、というものです(他にも問題はあります)。この地形図を見ると、地形・地質を勉強している人はピンとくるものがあります。「ブラタモリ」のタモリさんだと頭の上に【!】マークが出て、林田アナウンサーだと【?】マークがピッと出るところですね。
問題の範囲はもっと広いのですが、画面の都合上一部のみを掲載してあります。

 

 同じ場所を現在の地理院地図で見ると次のようになります。


 

 

 現在の地形図では住宅地が広く造成され、元の地形がわかりにくくなっていますが、旧版地形図ではよくわかります。
 図面右下を流れているのは、中国山地から流下し広島市で瀬戸内海にそそぐ太田川です。狭く切り取ったこの図面ではわかりませんが、太田川は氾濫原を東側に寄って流れています。これは西側の山地(阿武山側)からの土砂供給量が多く、太田川を東に押し出しているためです。また、太田川西側の地域には太田川旧河道が何本もあり荒地になっていること、田圃が堤防で囲まれていること(川が堤防で囲まれているのではない)から、太田川は土砂供給量の多い川であり、何度も氾濫をくり返していることを示しています。
 阿武山から鳥越峠に続く西側山地の山麓(赤線で囲った部分)の地形を沖積錐(ちゅうせきすい)と呼びます。この地形は、急勾配の谷の出口で土石流の堆積が繰り返されてできた地形で、土石流扇状地とも呼ばれます。つまり豪雨のたびに土石流が発生し、大小乱雑な岩から土砂が堆積しているということです。
 旧版地形図では家屋が少ないのは当然ですが、八木村の植竹、小原、上楽地といった集落は沖積錐の末端部、平地との境に作られています。これは太田川の氾濫と阿武山側からの土石流を避けられるぎりぎりのところを選んで住んでいたことを示しています。
 さて、改めて現在の地形図を見ると、地名が安佐南区八木となっています。ここが平成26年8月豪雨で74名の方が亡くなった土石流災害があった地域のひとつであることは、まだ記憶に新しいところです。また、4年後の平成30年西日本豪雨でも土石流被害にあっています。宅地は沖積錐全体を覆い、太田川付近も氾濫原全体が住宅地になっています。

     平成26年8月広島市安佐南区八木地区での被害状況:写真 国土交通省

 広島県は広く花崗岩とその風化土であるマサ土に覆われています。この地域も同様です。瀬戸内海の白砂青松の景観を作った元ですね。一方でマサ土は浸食に弱く土砂災害を起こしやすいことで知られています。また、花崗岩の風化は他の岩石と異なり、風化土のなかに巨大な残留礫を残すという特徴があり、土石流の被害を大きくすることがあります。
 平成26年に起こった土石流は、それまでも繰り返し起きていたことは間違いありません。そのことを旧版地形図は明瞭に示しています。このことが表題に書いた【地形という災害の記録】です。そしてかつてこの地に住んでいた人たちは、このことを理解し避ける工夫をしてきたことを示唆しています。
 私たちの仕事は受注業務であり、クライアント(発注者)の要請にしたがって仕事を行います。しかしそれだけにとどまらず、その場所にどのような災害の危険性があるのかを発信していく必要があります。大きな自然災害が連続している昨今ではなおさらです。業界全体で取り組んでいくべき課題ではないでしょうか。


3億円が当たったら

2019年11月28日

 まもなく12月、今年もあと1か月となりました。12月と言えば年末ジャンボ宝くじ、すでに11月20日に全国一斉発売になっています。楽しみに買っている人も多いかと思います。今は1等・前後賞合わせて10億円、すごいですね。ところでまだ年末ジャンボが3億円だったころのお話です。
 同業のとある会社を訪ねた時のことです。打ち合わせが終わって雑談になり、年末ジャンボ宝くじに当たったらどうするかという話題になりました。いろんな話が出るなかで、その会社の専務だったか部長だったか、とにかくエライ人が「3億円当たったらおれは仕事を辞めるな。別に楽しくてやっているわけじゃないからね」と言い出して、まわりの人たちがすっかりしらけた雰囲気になってしまいました。
 その話を聞いていて「なんたる男だ!」と私はすっかり腹を立て、面白くない気分でその会社を後にしました。
 正直な気持ちなのかもしれませんが、会社の最高幹部たる人間が部下を前にして「別にこの仕事が楽しいわけじゃない」などと言うことが許されるでしょうか。上司が自分の仕事を面白いと思わなければ、部下が面白いと思うはずがありません。
 会社員は働くことによってその対価としての給料をもらい、それで自分と家族の生活を維持しているのですから、「給料さえもらえればいい」とも言えます。また、会社の方も「社員が面白いと思おうがつまらないと思おうが、やるべき仕事さえやってもらえばかまわない」という考え方もあるでしょう。しかし、それで会社が発展するでしょうか?また、社員も一人の社会人として成長していくでしょうか?
 自分の仕事が社会に必要とされている、また会社に必要とされている、という意義を感じることは極めて重要なことであり、働くことは、その人が誇りを持って生きていくため必須のことだと私は思います。
 「ボーリングの面白さ」でも書きましたが、私は長い間この仕事をやってきて、面白い仕事だなあと感じています。もちろん現場での作業は、夏の暑さや冬の寒さという自然条件の厳しさがあり、重機やクレーンを使えない仮設条件の難しい現場では力仕事も出てきます。しかし、厳しい条件の中でいかに効率的に仕事を進めるのか、複雑な地質条件で早くきれいに掘削するにはどうするのか、頭を悩ます仕事こそ面白いものです。また、目的に沿った調査をどう進めるのか検討するには、目的とする工事についての理解も必要であり、そのために視野を広げる勉強も必要になってきます。これもまた面白さにつながります。
 ボーリング調査は、土木、建築のほとんどすべての工事に必須なものです。道路、橋、トンネル、堤防、ビルなど、設計のためには必ず最初に行わなければなりません。これがなければ何も作れないといっても過言ではない、本当に大事な仕事だなあとつくづく感じます。もちろんこれはボーリングに限ったことではなく、どんな仕事にも共通することです。
 社長や最高幹部は、ただ毎日の業務を進め、売り上げを上げ利益を出すだけが仕事ではありません。社員に仕事の意義や面白さ、会社の夢や希望を伝えるという重要な責務を負っているのです。最初の話で出てきたエライ人は、仕事ができると評判の人でしたが、そうした視点では幹部として失格と言わざるをえません。
 ところで、では私が3億円を当てたらどうするか?軽くて簡単に扱えて、能力が極めて高く、しかも壊れにくい画期的なボーリングマシンの開発に使いたいのですが、難しいだろうなあ・・・。