5月に大船渡市が主催した「アンモナイトの古生物学×大船渡市の古生物学~大船渡市 化石産地としての魅力を発信」という講演会に行ってきました。会場には手で触れられる化石も置いてあり、なんだか牛の角みたいな化石だな、と思っていたら、「それはティラノサウルスの歯の化石です」と説明されて、びっくりしました。
それはともかく、アンモナイトについては深田地質研究所の研究員相場大祐先生が、大船渡の化石、特に三葉虫化石について大船渡市立博物館の古澤明輝主任学芸員が説明をされました。お二人は同じ大学院の1年違いの先輩後輩で、一緒に研究を続けてきたそうです。化石の話も面白かったのですが、子供のころから化石が大好きだったという、思い出話しも興味深かったです。古澤先生は幼稚園の卒園文集に三葉虫の化石の絵を描いたそうです。
「子供のころからの夢を追いかけて、今でも研究を続けていられることは、本当に幸せだと感じています」という言葉が印象的でした。そうだろうなあ、と感じました。
フランスの哲学者アランの「幸福論」という高名な本があります。その中に次のような文章があります。
「つまるところ幸福は自由にやることの中にある。幸福は自ら従う規則の中にある。サッカーであれ、学問であれ、自ら受け入れた規則の中に幸福はある。これらの義務も外から見ていたら楽しくないどころかうっとうしいだろう。してみれば幸福は、見返りを求めていなかった人のところに突然舞い込むご褒美なのである」
なかなか難しい言い方ですが、自分自身が選択した仕事を、自分が決めたルールに従って追及していく。それは見返りを求めて行うものではない。そうした仕事を倦むことなく続けていった結果、思いもよらず幸福を感じることができるのだ、というような意味でしょうか。お二人がやってきた研究の人生は、まさにこのようにして訪れた幸福ではないかと感じました。
現在の社会心理学の研究によると、「身のまわりに信頼できる暖かな関係があること、その身近な人に自分が必要とされていると感じること」に、ほとんどの人が幸福を感じるとされています。ごく当然の結論だろうと思います。それに加えて、自分の仕事に打ち込み、評価されればさらに幸福感は増すでしょう。
とはいえ、こうした感情は平穏な日常がある、という前提での話です。イスラエル-ガザ紛争やウクライナ戦争に巻き込まれている当事者で、どれほどの人が幸福を感じているでしょう。身近な人が死に、自分もいつ爆弾で死ぬかわからないという状況に置かれた人は、とても幸福を感じる余裕はないでしょう。東日本大震災や今年の能登地震の被災者も、少なくとも被災した当時は幸福どころの話ではないと思います。
世の中は広いので、世界の70数億人の中には鉄砲玉の飛び交う危険の中にしか幸福を感じられない、という人もいるかもしれませんが、そんな人はごく少数でしょう。こういう人の話は省きます。
私たちは、明日も明後日も今日と同じような生活が続くことを前提に生きています。「治に居て乱を忘れず」いつ非常時がやってくるかを考えながら、それに備えて生きなければならない、と言う人もいますが、それは国家の指導者はそうであっても、われわれのようなそこらここらに転がっている平凡な人間は、平穏な日々が続くものと思っているのが普通です。何を幸福と感じるかは人によって違いますが、幸福の条件ははっきりしています。それは平穏な日々が続き、生命と生活の安全が守られていることです。
国家とは何か。昔から多くの人が論じていますが、結局は国民の生命と生活を守り、維持するための装置であろうと思います。生命と生活を脅かすものは何かというと、端的には戦争、犯罪、疫病、経済の混乱、自然災害などでしょう。また、これらは複合して起きることが一般的です。
戦争を防ぐために外交や国防があり、犯罪を防ぐために警察組織、自然災害には国土交通省(日本では)、経済の混乱には財務、金融などの行政組織があります。もちろん国家・行政の役割はこれにとどまるものではなく、教育、医療、福祉、産業の育成など広範なものを含みます。
日本国憲法第13条に「すべての国民は・・生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」としています。また、第25条で「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めています。憲法が定めているから、というわけではないのですが、これが国の果たすべき役割です。
つまるところ、国家の役割とは人々が幸福に生きるための基本的条件を整えることにあります。また、歴史とは人々が安全を目指し、国家がそうした役割を整えるための過程と見ることができます。歴史についてもさまざまな見方がありますが、世界が紆余曲折しながらもより安全になってきたことは間違いありません。
スティーブン・ピンガ―の「暴力の人類史」などを読むと、いかに過去の人類が残虐で、人間の価値が低かったのかがわかります。古代から中世世界では人の価値はタダ同然でした。「只より安い物はない」と言いますが、もしかしたらタダの物品より安いものだったかもしれません。
20世紀においても、第一次、第二次世界大戦という大量の死者を出した戦争があり、ヒトラーのユダヤ人虐殺、スターリンの粛清、毛沢東の大躍進政策による大量の餓死者などもありました。それでも対人口比でいえば減少しています。また、これらを教訓とした国際体制が構築され、現在では圧倒的に戦災や災害での死亡者が減少しています。
いかに国民の生命と安全を守るのか、また国民生活の発展を支えるのか、すなわち幸福のための基礎的条件を整えるのかが、国家の役割です。そして土木事業もそうした役割を果たすためのひとつの分野であると言えます。