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石狩川についていろいろ(2)北海道の地形と形成史

2025年03月14日

 東北地方に住んでいると、地図で北海道の地形を見た時、どうも腑に落ちないところがありました。東北地方では南北に続く山地と低地が東西にきれいに並んでいます。北上山地―阿武隈山地、奥羽山脈、出羽山地の列と、北上盆地―仙台平野―福島、郡山盆地、横手から米沢の盆地列ですね。この並びは大地形で見ると日本海溝と並行しています。また、火山列もほぼ同じです。東日本だけでなく、西日本でも、概ね山地―平野―火山列の方向は南海トラフと並行しています。ところが北海道では千島海溝と山地の方向は平行ではなく、むしろ直交しています。

 北海道中央部の大きな山地は東西二列、東側は北見山地―日高山脈、西側は天塩山地―夕張山地があり、その間に頓別平野、名寄盆地、上川盆地、富良野盆地と続く低地帯があります。北見山地を日高山脈は中央の大雪山地でつながっていますが、日高山脈が西側にずれた位置関係となっています。

 火山の並びを見ると、東の千島列島から知床、阿寒、大雪山系、西部の支笏、洞爺、駒ケ岳、恵山とほぼ東西に並び、千島海溝からの距離も同じで火山フロントを形成しています。そして、北海道中東部と渡島半島は、石狩平野と勇払平野の低地帯を境に、東西にはっきりと分かれています。

          北海道の地形(地理院地図を編集)

 北海道の形成史は次のように説明されています。新生代中新世以前、つまり日本海拡大以前の北海道西部は東北日本と連続してユーラシア大陸のシホテアリン地方にありました。そこには中生代白亜紀(恐竜がいた時代ですね)から古太平洋プレートが沈み込み、現在の火山フロントと同様な活発な火山活動がありました。当時の火山地帯の深部にあったマグマが固まった花崗岩が現在日高山脈中軸部にあり、沈み込んだプレートが地下深部で変成したものが、神居古潭の渓谷に見られる結晶片岩や蛇紋岩として露出していると考えられています。

 およそ2000年前から1500万年前に日本海が分裂し、日本列島と北海道西部が現在の位置に移動しました。このことは何度も書いてきましたし、日本の地形、地質を考えるときに必ず出てきます。しかし、なぜ日本海ができたのかは、さまざまな説がありますが、まだよく分かっていない、というのが現実です。

 プレートが沈み込む海溝―弧状列島―その背後にある海盆(縁海と呼びます)の組み合わせが日本列島を作っています。日本列島周辺には、北からアリューシャン列島とベーリング海、千島列島とオホーツク海、東西日本弧と日本海、伊豆小笠原弧とフィリピン海(四国海盆)という組み合わせが連続しています。

 海溝からのプレートの沈み込みによって、プレート直上のマントルが引きずり込まれ、それを埋め合わせるために、地下深部から暖かいマントル(マントルウェッジ)が上昇し、地殻を分裂させる、という考え方で説明されていますが、すべての海溝で弧状列島と縁海があるかというとそうではありません。海溝―弧状列島―縁海の組み合わせは、太平洋北部から西部に限られます。最近ではもっと広く、インドプレートとユーラシアプレートの衝突により、広範囲なマントルへの影響があるのではないか、という考え方もあるようです。多くの地質学者、地球物理学者がこの難問に取り組んでいますが、しばらくは解答が出ないようです。

 それはともかく、ほぼ現在の位置に移動した西部北海道に東から東部北海道が衝突、結合したと考えられています。

 知床半島から千島列島の国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島、ウルップ島はみな同じように東北東の方向を向いて並んでいます。これを雁行(がんこう)配列と呼びます。雁行配列は活断層が横ずれ運動をしたときに現れる形としてよく知られています。千島列島の弧の外側(南側)が西方向に動く、右横ずれ運動を起こしているためにこの形になり、それは太平洋プレートが斜めに沈み込んでいるため、と考えられるのです。

 この斜め沈み込みの力は北海道南東部まで連続しています。十勝平野東の白糠丘陵、日高山脈、馬追丘陵などは、みな東側に凸の弓形をしています。石狩平野も大きく見ると弓形をしています。これらの変形はこの斜め沈み込みの圧力によるものです。最初に述べた北海道の地形の特徴は、プレートの沈み込みの方向と海溝の方向の不一致が原因だったのです。

 この衝突によって大きく隆起したのが日高山脈です。かつて地下深部にあった花崗岩や変成岩が地表に現れ、いわばめくりあがった状態になりました。そして長い間の浸食により現在の鋭角な山稜を持った姿になりました。

 北海道西部の渡島半島は地質的には東北地方北部と連続し、東北日本弧の一部とされています。そしてこの東北日本弧と千島弧である中東部北海道の接合部にあたるのが石狩低地帯であり、今回述べる石狩川の主な舞台となります。石狩低地帯も北海道圧縮の影響を受け、低地帯東西境界の断層に区切られた沈降地域にあたっています。反射波地震探査と大深度ボーリングの結果から、第四紀に堆積した地層がおよそ地下1,000mまであることがわかっています。