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信濃川についていろいろ(3)千曲川の水害-2019年台風19号

2024年05月09日

 この写真は長野市にある、善光寺平の洪水水位標です。善光寺平という地名は、善光寺がある平らな土地という長野市の古い呼び方です。善光寺はおよそ1,400年の歴史を持つと言われ、全国から参詣者が訪れる大変に由緒のあるお寺です。

 それはともかく、この洪水水位標の一番上には1742年(寛保2年)8月2日、2番目に2019年(令和元年)10月13日の水位が表示されています。これだけ高い洪水があったことは驚きです。

 令和元年10月13日の記録は、台風19号のもので、関東甲信越から東北まで広い範囲で水害が発生し、令和元年東日本台風と命名されたことは記憶に新しいところです。この台風は典型的な雨台風で、静岡から関東南部、甲信越、東北地方で大雨となり、24時間雨量が、神奈川県箱根町で942mm、静岡県湯ヶ島で717mm、宮城県丸森町筆甫(ひっぽ)で588mmなど記録破りの豪雨になりました。

 24時間雨量900mmというと、丸1日で約1mです。これが川に集中するのですから、どれだけの流れになるのか想像を絶するものがあります。一級河川の千曲川、阿武隈川本流が破堤し(よく国土交通大臣がクビにならなかったものです)、広域かつ同時多発的に被害を発生させ、全国で死者、行方不明者108名、全半壊家屋12,125棟等の甚大な被害となりました(2020年10月時点)。

 全国で見ると、死者が最も多かったのは福島県で36名、阿武隈川が郡山、須賀川、本宮、伊達などで広範囲に決壊したためでした。次が宮城県で19名。丸森町で阿武隈川支流の破堤や土砂災害が多発しました。余談になりますが、この台風19号の被害の大きさが、現在進められている「流域治水」への方針転換のきっかけになりました。(当ブログ2021年8月6日「流域治水の背景」)宮城県では丸森町で阿武隈川支流の内川、五福谷川などの改修工事、大郷町の吉田川の改修工事が現在も続いています。

 千曲川では犀川と合流する長野市で堤防が決壊し、長野市から千曲市、中野市、飯山市にわたって氾濫しました。新幹線車両基地が水没したニュースで有名になった、長野市刈穂地区が決壊地点でした。この水害で長野県では災害関連死も含め15名が亡くなっています。一方下流の新潟県では、被害はあったものの死亡者は出ていません。

           台風19号での千曲川堤防決壊状況

 長野市周辺の水害の地形的要因は、長野・新潟県境付近にある、立ヶ花、戸狩の二つの狭窄部です。下の図は信濃川水系の延長と勾配を表したものです。犀川合流点から飯山盆地の間で勾配が緩くなり、戸狩狭窄部の下流から再び勾配が急になっています。図2は川幅を表したものですが、立ヶ花、戸狩の川幅が極端に狭くなっていることがわかります。

             図1 信濃川河床高縦断図

            図2 信濃川川幅縦断図

 出水時にはこの狭窄部で水の流れが遅くなり、水位が上昇します。このため、狭窄部上流で水とともに流れてきた土砂が堆積し、比較的広い堆積盆地が形成され、勾配が緩くなっているのです。そしてこの狭窄部を抜けると再びストレスなく流れていきます。この地域が下流に対する天然の遊水地機能を果たしていると見ることもできます。

 前回、千曲川と信濃川はその形成史から言っても別の川と言っていいような川である、と書きましたが、水害の歴史を見てもその様相はだいぶ違います。もちろん一続きの川なので上流の水害は下流にも影響するのですが、被害のありようはだいぶ違います。その大きな原因のひとつがこの狭窄部にあります。

 中央山岳地帯や信越国境の山々が大きく隆起したのは、およそ300万年前からとされています。この隆起は現在も続いています。毎日山を見ていてもその高さが変わるわけではないのですが、何万年、何十万年という長い間で見ると変わっています。筑摩山地を抜けて松本から長野に流れる犀川や、この狭窄部を流れる千曲川は、隆起する山地を削り、谷を作り続けています。フォッサマグナ地帯の隆起と沈降という大地の動きが、複雑な地形と、もろい地質の原因になっているのです。

 千曲川の過去の水害の代表例として、善光寺平洪水水位標にあった、1742年の水害と1847年の善光寺平地震を取り上げてみます。