TEL 022-372-7656

火山についていろいろ(7)VEIと巨大噴火

2023年03月27日

 VEI(Volcanic Explosivity Index)=火山爆発指数は、火山の爆発規模の大きさを表す区分で、火山のその時々の爆発の大きさを示しています。爆発噴出物の量で0~8に区分され、8が最大規模です。

 VEIの決定には噴出物の種類は関係なく、また、静かに流れる溶岩はどれだく多くても考慮されません。したがって噴火のエネルギーを示すわけではありません。ただ、歴史的な記録がなく噴火の状態がわからない古い時代の噴火についても、噴火の規模が評価しやすい、ということでこの指数が一般的に用いられています。

 下の表はVEIの区分とその噴火例を表したものです。

 VEIの値が1上がると、噴出物の量は10倍となります。ただし、1と2の間だけは100倍の差がつけられています。もちろんこの値の幅は大きいので、VEI6に近い5とか、7に近い6とかもあります。

 記憶に近い日本の大きな火山噴火は、1990―1995年の雲仙普賢岳の噴火や1986年の伊豆大島の噴火ですが、VEIでいうと2~3に該当します。なんだ、そんなものか、と意外な気がします。しかし当たり前の話ですが、小さい噴火は頻繁に起きるし、大規模な噴火はめったに起きません。人の短い一生の中で何度か経験する火山噴火はそんなものなのかな、と感じます。

 もちろんVEIが小さいからと言って被害が小さいということではなく、噴火の規模と災害としての規模は全く違うことは強調しておかなければなりません。小さい噴火でも人口の密集地に近ければ大被害になるのは当然です。カムチャッカ半島のようなヒグマしかいないような場所では大噴火を起こしても、大きな災害にはなりません。

 とはいえVEIの大きな噴火がもし起きたら、と思うとそら恐ろしくなります。

 約7万年前に起きたVEI8のインドネシア・トバカルデラの噴火では、当時の人類の大半が死滅したと考えられています。これは「トバ・カタストロフ説」と呼ばれています。人類のDNA解析の結果から、約7万年前に人類の数が1万人以下まで減少し、遺伝的に非常に均質になった、という説です。この説は、気候変動が与えた人類の進化や移動(グレートジャーニー)への影響を考えるうえで大変興味深いものですが、長くなるのでこれ以上は述べません。

      インドネシア・スマトラ島のトバ湖(Googleより引用)

 それはともかく、この噴火による火山灰は、東南アジア、南アジアを中心に厚く積もり、ベンガル湾を越えたインドでも、トバ火山由来と考えられる火山灰が2mも堆積しているそうです。この大量の火山灰によって日光が遮断され、地球の気温は平均5℃も低下し、劇的な寒冷化が長期にわたって(数千年の規模)続いたとされています。

 トバカルデラやアメリカのイエローストーンカルデラの噴火、日本の阿蘇カルデラの噴火などはいずれも記録があるわけではなく、地質学的な研究からわかってきたものです。記録が明瞭に残っている最大の噴火といわれるものは、トバカルデラと同じインドネシアにあるクラカタウ島の1883年噴火です。この噴火はVEI6.5とされ、標高1,800mの成層火山が消滅し、海中にカルデラを作り、四つの島だけが残りました。火砕流は約40km先のスマトラ島を襲い、津波により周囲の島々で36,417人が死亡しました。成層圏まで達した噴煙により北半球の気温が0.5℃~0.8℃低下したと言われています。

 クラカタウ島の噴火に匹敵すると言われているのが、1991年のフィリピン、ピナツボ山の噴火です。この影響で日本でも寒冷化が起こり、夏の無い年と言われ、稲の収穫量が激減し、備蓄米の放出、タイ米の輸入が行われたのは記憶に新しいところです。

        1991年のフィリピン・ピナツボ火山の噴火

 VEI8クラスのトバ火山のような噴火は、数万年から数十万年に一度しか起きないものですが、いつかは必ず起こります。それまでに人間はこの破局的噴火に耐えられるよう、賢くなれるのでしょうか。それともまた別の原因でそれ以前に滅んでしまうのでしょうか?

 ウクライナの戦争を見ていると、「そんなことやってる場合じゃないだろう」と暗澹たる思いにとらわれます。たかが数十年から数百年の歴史の変遷ではなく、数万年のスパンで見れば「人間は同じ、人類はみな兄弟姉妹」などと言ってみたくもなるのです。


火山についていろいろ(6)富士山(つづき)

2023年03月06日

 前回、富士山は「噴火のデパート」と呼ばれている、と書きましたが、全体としていえば玄武岩溶岩の噴出が多い火山です。これだけ長い間玄武岩質の溶岩を噴出し続けている火山は日本では他にありません。

 下の図は富士山周辺を拡大した陰影起伏図です。これを見ると富士山の裾野周辺に多くの側火山があることがわかります。山頂から右下(南東)に大きく口を開けているのは、1707年の宝永噴火を起こした宝永火口になります。左上(北西)には、やや大型の側火山である大室山や、青木ヶ原溶岩流を噴出した割れ目噴火火口列があります。これらの側火山はすべて一回の噴火でできた単成火山です。

       富士山周辺の陰影起伏図(地理院地図を編集)

 この図を見るとわかるとおり、側火山は概ね富士山の北西―南東の軸に沿って並んでいます。このことは、富士山が玄武岩質の溶岩を噴出し続けていることと関連していると考えられています。

 改めて富士山とプレートの位置関係を確認してみましょう。

 日本周辺には、陸側プレートである北米プレート、ユーラシアプレート、海洋プレートである太平洋プレート、フィリピン海プレートの四つのプレートがあり、押し合いへし合いしています。北米プレートとユーラシアプレートの境界が糸魚川静岡構造線です(ということになっていますが、これはとりあえずの仮定だと思います)。フィリピン海プレートは北西方向に移動しユーラシアプレートの下に沈み込み、さらにその下に太平洋プレートが沈み込むという大変複雑な関係になっています。

        伊豆半島を中心としたプレートの関係図

 伊豆―小笠原諸島はフィリピン海プレートとともに北上し、日本列島に衝突します。フィリピン海プレートは日本列島の下に沈み込みますが、軽い地殻の伊豆半島は沈み込むことができずに日本列島を押し続けています。その結果、中央構造線~三波川帯、秩父帯、四万十帯という西南日本外帯の八の字変形が生まれました。このフィリピン海プレートの衝突の先端部、ユーラシアプレート、北米プレートのほぼ交点に富士山があることは注目に値します。

 伊豆半島はフィリピン海プレート上にありますが、沈み込めません。その両側は、相模トラフ側からは北西方向に、駿河トラフ側からは西方向に沈み込んでいると考えられています。明確なことはわかりませんが、伊豆半島を境にフィリピン海プレートが分岐している、ということのようです。

 このプレートの分岐により、富士山周辺では北東―南西の引張力が働く応力場となり、北西―南東方向にマグマが上昇しやすくなります。地殻に弱いところがあるとマグマはもっとも上昇しやすい場所を選んでその都度噴火するので、一回だけの噴火でできる側火山をたくさん作ることになります。また、このこと(フィリピン海プレートが分岐していること)が地下深くでできた初生的マグマである玄武岩質マグマが、分化することなく地上まで上昇しやすい条件を作っていると考えられています。

 「富士山は地球表層における最大級の境界であるプレートの境と島弧の最大級の弱線である火山フロントの交点に位置している。このために、ここはおそらく地下深くでできたマグマが容易に地上に達しやすいのであろう。(中略)富士山生成の秘密が全部解けたわけではなく、その位置の特異性がはっきりと認識されるようになったという段階なのである。」

(貝塚爽平「富士山はなぜそこにあるのか」1990年)

 ところで富士山は約2,200年前から中央火口からの大規模な噴火を起こしていません。理由はよく分かりませんが、それ以降の大規模噴火はすべて側火山からの噴火です。記録に残る富士山の三大噴火(延暦噴火、貞観噴火、宝永噴火)もみな側火山の噴火です。このまま中央火口からの噴火がなければ、今の富士山の美しい形は浸食によって徐々に失われていきます。

 ただ、富士山のテクトニックな位置(プレートとの位置関係)は変わらないので、富士山がその下に古富士山や小御岳山を隠しているように、別の火口から噴火した次世代富士山が新たに出来上がるかもしれません。

 さらに時間が経過し、数十万年から数百万年後には次の伊豆諸島の島が衝突するはずです。するとフィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界は現在の位置からジャンプし、新たな半島と本州の境に移動します。その時には富士山は火山としての活動を完全に終え、最終的には現在の御坂山地や天守山地のような、次の世代の大火山を取り囲む、山地の一部になってしまうのかもしれません。

    伊豆の衝突によるプレート境界の移動(産業技術総合研究所より)


火山についていろいろ(5)富士山

2023年02月13日

 だいぶ前の話になりますが、仕事で会津若松に泊まった時、旅館のおじいさんが「磐梯山は(1888年の)噴火で崩壊する前は、富士山より高かったんだ」と自慢していました。「そんなアホな・・」と思ったのですが、「そうですか・・」と話を合わせました。老人の郷土愛は尊重すべきですからね。

 磐梯山は会津富士、鳥海山は出羽富士、岩木山は津軽富士と各地に○○富士と呼ばれる山があります。なんだかお相撲さんのしこ名みたいでもあります。(照ノ富士は膝を治して頑張ってほしいです)それはともかく、共通しているのは地元の周囲からよく見え、長い裾野をひいた円錐状の山体を持った独立峰です。

 こうした山の代表格で、日本を代表する山といえばやっぱり富士山です。高さといい、大きさといいNo.1です。昔、海外の留学から帰ってきた人たちが、船から富士山が見えると、「ようやく日本に帰ってきた・・」と涙を流した気持ちもわかります。

 一方でまた、大規模噴火が最も危険視されている山も富士山です。特に遠からず発生すると予想される南海トラフ地震に連動して噴火するのではないかと心配されています。これは1707年に起きた宝永地震(東海―南海地震)の49日後に噴火しているからです。

 2011年の東日本大震災後の3月15日に富士山直下でマグニチュード6.4の地震が起きています。マグマだまりが活動し、噴火するのではないかと心配されましたが、幸いこの時は噴火に至りませんでした。

 記録に残る富士山の噴火では、宝永噴火は直近の最大の噴火でVEI(火山爆発指数)5に相当しています。富士山の噴火が危険視されているのは、爆発の規模に加え、東京、横浜から東海道沿岸の都市部に近接し、人的、経済的被害が日本の他の火山と比較にならないからです。

 下の図は富士山周辺の陰影起伏図です。これを見ると富士山は、中央の山体がとんがっている以外は、周囲に比べ非常に起伏が少なく、すべすべしていることがわかります。近くにある愛鷹山や箱根山に比べるとその差がはっきりしています。富士山、愛鷹山、箱根山はいずれも60万年前~40万年前から活動しています。愛鷹山は10万年前に活動を停止しているので、浸食により開析されているのは当然ですが、箱根山は現在でも活発に火山活動を続けています。富士山がこれだけ均整の取れた円錐状の山体を維持しているのは、浸食されてもそれを被覆してしまうだけの噴火活動を行っていることを示しています。

       富士山周辺の陰影起伏図(国土地理院地図を編集)

 富士山の噴火の特徴は、多様な噴火活動を行っていることです。日本の火山はデイサイトから安山岩質のマグマからできていることが多いです。富士山は、宝永噴火ではデイサイト質の爆発的噴火をしましたが、貞観噴火(864年~866年)では流動性の高い玄武岩質の溶岩を噴出し、青木ヶ原を作っています。また、約2,900年前には大規模な山体崩壊を起こし、「御殿場岩砕なだれ」と呼ばれています。さらに火砕流の発生も確認されています。このように富士山は「噴火のデパート」と呼ばれるように、多様な噴火形態を繰り返しています。このことも、富士山を大きくした要因と考えられています。

 噴火の様式は、マグマに含まれるSiO2(二酸化ケイ素)の含有率によって決まります。SiO2が少ない(概ね50%)のマグマは粘性が低く、サラサラ流れる玄武岩質の溶岩になります。ハワイの火山がその代表例ですが、1981年の伊豆大島の割れ目噴火も同様です。SiO2が多いマグマは粘性が高く流れにくい流紋岩質からデイサイト質の溶岩なります。非常に粘性が高い流紋岩質の溶岩は、流れずに溶岩ドームを作ります。昭和新山、有珠山、樽前山など支笏湖周辺の火山が代表例ですが、雲仙普賢岳もその一例です。その中間が安山岩質の溶岩となります。

 島弧の火山は、一般的には初期に玄武岩質の溶岩を噴出して成層火山になり、その後安山岩質溶岩からデイサイト、流紋岩質の溶岩に変わっていくと言われています。そういう点からいうと富士山は活動的な青年期の火山といえます。隣にある箱根山が中央火口丘にデイサイト質の溶岩ドームを作っているのとは対照的です。同じころに活動を始めた火山なのになぜ違うのか?富士山は日本を代表する火山であると同時に、まだ分からないことの多い不思議な火山でもあります。


火山についていろいろ(4)カルデラ火山と「利息でござる」

2023年01月24日

 2016年5月に公開された「殿、利息でござる」は、地元宮城県大和町を舞台にした映画で、全国的に興行成績がどうだったのかは知りませんが、宮城県内では多くの観客を集めたようです。もちろん私も見ました。

 長々とした説明は省きますが、江戸時代、仙台藩吉岡宿(現在の大和町吉岡)で、町人たちが頭をひねって宿場町の窮状を救った史実をもとにした映画でした。お殿様役で羽生結弦君が出演していたのが愛嬌でした。

 映画の中で、自称吉岡宿一の知恵者、菅原屋篤平治(瑛太)が「七ツ森」を背景に、京都のお茶を持って帰ってくる場面がありました。原作「無私の日本人」(磯田道史作)の表紙にも描かれている風景です。吉岡の西方にある「七ツ森」と呼ばれる七つの小山は、この地域を代表する風景であり、この山々を見ると、あー、帰ってきたなと感じます。

         七ツ森と背後の泉ヶ岳―船形山連山

 吉岡から見ると、泉ヶ岳―北泉ヶ岳―船形山と続く奥羽山脈を背景にこの七つの山があります。七つ森の近くには、笹倉山(これも離れていますが、七つ森のひとつに数えられます)、長倉山、達子森、赤崩山、蘭山(あららぎやま)、大畑山と標高200m~700m程度のデイサイトから流紋岩質の山がほぼ円形状に並び、その中に吉田川とこれをせき止めた南川ダムがあります。

 この山々の周辺には、地質図で薄緑色に着色された宮床凝灰岩と呼ばれる火砕流堆積物が広く分布し、そのほぼ中心部にクリーム色の若畑層があります。若畑層は湖沼堆積物で形成されています。

      七ツ森周辺の地質図(5万分の一地質図「吉岡」を編集)

            大和町に見られる若畑層の露頭

 実はここは、七ツ森カルデラと呼ばれる火山が約350万年前に大噴火を起こした跡です。この噴火による火砕流は、大和町から加美郡色麻町、富谷市、仙台市泉区北部まで広く覆っています。また、広瀬川河畔に見られる広瀬川凝灰岩もこの火砕流堆積物といわれています。(白沢カルデラの噴出物という説もあります)

 このカルデラ火山の噴火後、陥没した場所は湖となり、そこに長い時間をかけて堆積した土砂が若畑層となりました。その後、後カルデラ期の火山活動で、カルデラ周辺に噴出したのが七ツ森の山々で、溶岩円頂丘群と呼ばれています。その後赤崩山、大畑山が活動し、安山岩質の溶岩を噴出しながら成長したと考えられています。これらの山々の活動期は約160万年~230万年前といわれています。

 もちろん人がいない頃ですから災害にはならないのですが、こんな身近なところで巨大な火山活動が起きていたことは驚きです。

 映画を見てこんな話をしたら、妻に七ツ森はまた噴火する可能性があるのか?と聞かれました。

 七ツ森は奥羽山脈中軸部にある現在の火山フロントからだいぶ東に離れた位置にあります。同じような位置にある古い火山の跡は、青麻山や薬莱山が宮城県内にあります。これらの山は火山フロントが現在より東にあった時代の火山であり、今後活動することはないでしょう。

 ところで、巨大噴火を起こし、山体を持たないカルデラ火山と富士山のような円錐形の山体を持った火山の違いは何なのでしょうか?阿蘇や阿寒などの巨大なカルデラは、噴火と噴火の間の期間が長く、マグマを大量にため込むため大噴火を起こす。比較的短い期間で噴火する火山は繰り返し溶岩や火山灰を(比較的)少量ずつ出すため、円錐形の火山らしい形になる、ということのようです。では、その期間の違いの原因は何か、ということをいろいろ調べたのですが、結局まだよく分かっていないようです。

 日本大学の高橋正樹先生によると「大型カルデラは概ね平坦な場所にあって、高く隆起した山脈の山などにはみられません。活断層の変位などから、これらの地域の長期間にわたる平均的な地殻の変形速度を見積もってやると、その値が小さいことがわかります。変形速度が小さいということは、その場所が比較的静穏な環境に置かれているわけで、そのためマグマが溜まりやすいのかもしれません。」(火山学会ホームページ「火山学者に聞いてみよう」より)

 七ツ森火山も時間をかけてマグマをため、利息を付けて大噴火したのかもしれません。


令和5年 新年を迎えて

2023年01月06日

 あけましておめでとうございます。令和5年が始まりました。

 昨年の年始のブログを読み返すと「新型コロナ感染症は第6波を迎えたが、幸い社員、協力会社に感染者はまだ出ていない」と書いていました。昨年末から第8波の流行となり、発表されている全国の感染者数は、1月3日付で2,957万人となっています。概ね国民の1/4が感染した勘定です。実際の感染者はもっと多いでしょうね。

 当社でも3月ごろから感染者が出始め、一時鎮静化したものの、8月~11月にはバタバタと感染者数が増え、各現場で休工が相次ぎました。しかしみな比較的軽症であり、12月には対面式の安全大会、忘年会も行いました。忘年会は3年ぶりです。これからは「with コロナ」でやっていくしかないのでしょう。

 2月に始まったウクライナ戦争は終結の兆しも見えません。これをきっかけとした世界的な物価上昇、保険料の値上げ、さらに増税も議論されています。厳しい社会情勢が予想されます。

 とはいえ悲観的になってばかりでも仕方ありません。将来に目を向け会社の発展を図っていきたいものです。今年も新入社員の入社が予定されており、また若手社員が定着し、成長してきているのも心強いものがあります。

 例年どおり二柱神社の神職を迎えての安全祈願祭も1月5日に行いました。とにかく無事故無災害で新たな年を乗り切っていきたいと思います。