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ダムと地質調査(2)ダムの形式

2021年01月23日

 ダムの形式について説明します。形式について理解しておかないと、この後のいろいろな説明が分かりにくいからです(よくご存じの方は飛ばしてください)。

 鳴子ダムのようなアーチ式の美しいダムや、釜房ダムのようなどっしりとした重量感のある重力式コンクリートダムなど、いろいろな形式がありますが、当然のことですが設計者が自分の好みで設計しているわけではありません。ダムの形式は、建設する場所の地形・地質と密接な関係があり、さらに経済性も考慮して、その場所に最も適した形式を選択して建設されています。

 ダムの形式は大きくコンクリートダムとフィルダムに分けられます。最近はこの中間的な台形CSGダムが新しい形式として注目されています。以下、宮城県にあるダムを例に取り上げながら説明します。

(1)コンクリートダム

①重力式コンクリートダム

 

         釜房ダム

 堤体がコンクリートで作られ、堤体自体の重量で水圧に抵抗する形式のダムです。構造は一般的には直線で、断面はほぼ直角三角形になっています。日本のハイダムはこの形式が最も多く採用されています。宮城県内でも釜房ダム、宮床ダム、南川ダムなどがあります。

 ところで、一般のコンクリート構造物は鉄筋コンクリートで作られていますが、ダムでは部分的に複雑な構造の付帯設備以外に鉄筋が入っていません。これはダム堤体には圧縮力のみがかかり、引張力がかからないため鉄筋で補強する必要がないからです。コンクリートダムは日本では建設から120年程度たっており、コンクリートの耐用年数について実情を観察していますが、コンクリート劣化の最大の原因である鉄筋がないため、相当長い耐用年数が見込まれています。

 蛇足になりますが、古代ローマでは、現在のポルトランドセメントと若干違いますが、ローマンコンクリートを用いて建築物を作り現在でも残っています。有名なものにハドリアヌス帝(映画「テルマエ・ロマエ」で市村正親さんが演じていました)が建設したパンテオンがあります。

②アーチ式コンクリートダム

 

         鳴子ダム

 断面が上流へアーチ状に張り出した構造を持つコンクリートダム。黒部ダムや鳴子ダムなど、美しい姿を見せています。アーチ構造を利用して、水圧を両岸に伝えることで支えています。重力式ダムに比べ断面が薄く、コンクリート量を少なくできますが、両岸の岩盤が堅固でなければ建設できません。

③マルチプルアーチ式コンクリートダム

         大倉ダム

 ごくまれな形式ですが、宮城県に大倉ダムがあります。アーチ式ダムの一種で、両岸の岩盤が堅固でも河谷が広く単一なアーチで構築できない場合に用います。大倉ダムは日本で唯一のダブルアーチ式ダムで、中央に岩盤の代わりになるコンクリートのアバットがあり、二つのアーチをつないでいます。

④中空重力ダム、バットレスダム

 どちらも重力式コンクリートダムよりも使用するコンクリートを少なくするために設計された、複雑な構造をしたコンクリートダムです。実用例は少ないのでここでは省略します。

(2)フィルダム

 フィルダムは土砂や岩を用いて作ります。コンクリートダムに比べ堤体の傾斜が緩く、底面積が広いため、ダムの荷重が分散され、コンクリートダムよりも地盤の悪いところに建設できます。また、コンクリートに比べ剛性が低く、地盤の変化に対応することができます。

①ロックフィルダム

 

         七ヶ宿ダム

 土や岩石を堤体材料として盛り立てて作るダムです。中央遮水型と表面遮水型があり、中央遮水型は、堤体中央に水を通さない粘土層を盛り立てることによって、表面遮水型は、堤体の上流側表面にコンクリートやアスファルトを舗装することで遮水します。宮城県内では七ヶ宿ダム、七北田ダム、漆沢ダムなどがあります。

②アースダム

 

         村田ダム

 古くから用いられてきた形式で、土砂を盛り立てて作るダムです。堤体の材料を得ることが容易ですが、高いダムを作ることには向いていません。ため池はほぼこの形式で作られています。嘉太神ダム、村田ダム、化女沼ダムなどが宮城県内にあります。

(3)台形CSGダム

 日本で開発された最も新しい形式のダムです。CGSとは、Cemented Sand and Gravel の頭文字をつなげたもので、「セメントで固めた砂礫」という意味です。現地で容易に手に入る砂礫を貧配合のセメントで固めた堤体を、台形型に盛り立てて作ります。骨材を選定せずに、粗悪な骨材も混合することで経済的に建設できることが最大の利点です。台形状にするのは、従来の直角三角形のコンクリートダムに比べ、構造上必要強度を小さくできる、と説明されています。宮城県では、現在調査が進められている鳴瀬川ダムがこの形式で建設される予定です。

※ダムの概念図はいずれも西松建設・ダムプロジェクトチーム「巨大ダムの”なぜ”を科学する」(アーク出版)から引用しました。また、ダムの写真は、各ダムの管理事務所ホームページから引用しました。


ダムと地質調査(1)ダムとは何か

2021年01月12日

 2020年7月の集中豪雨(令和2年7月豪雨と名付けられました)では、九州から中部地方、さらに山形県まで大きな被害が出ました。特に7月3日から4日にかけて、熊本県人吉市を中心に球磨川流域で死者65名、行方不明者2名という甚大な災害となりました。

 人吉盆地は球磨川本流と大支流の川辺川の他、小纏川、胸川、鳩胸川、万江川などの中小支流が集中し、そこから八代市の河口まで長い狭窄部が続く地形的な特徴があります。このため人吉盆地は水害の常襲地帯となっています。

         2020年7月豪雨による人吉市街の氾濫状態

 今回の水害をきっかけに改めて川辺川ダムの是非について議論が起こっています。川辺川ダムは1966年(昭和41年)から国交省直轄ダムとして事業が始まり、用地の取得、家屋の移転、付け替え道路建設などもほぼ終わり、1999年には仮排水トンネルが完成していました。しかし地元の反対が根強く、2009年に事業が休止したままになっています。(2020年11月に、蒲島熊本県知事は川辺川ダムの建設を容認する発言をしています)

 川辺川ダムがあれば今回の水害を防げたのかどうかについては、様々な意見が噴出し、ダムの必要性について世論が沸き立ちました。災害が起こってしまったことは残念ですが、改めてダムの役割が注目されることは、今後の治水のあり方を考えるうえで決して悪いことではありません。

 地質調査の世界では「ダムの調査はボーリングの花」と呼ばれたこともあるほどで、私たちも数多くのダム現場で仕事をしてきました。しかし一般的に大きなダムは山奥に建設されるものなので、直接ダム建設に係る人(とダムマニア)以外は、ダムがどういう役割を果たしているのか、どう建設されるのか、またそのためにどのような調査が行われるのか、あまり知られていないように感じます。

 そこで今回はダムと地質地調査について述べます。詳細は専門書や、大手の建設コンサルタント会社、ダム便覧のホームページを見ていただくとして、経験に基づいてなるべく具体的に書きたいと思います。

 ダムとは何か。広辞苑はダムを次のように説明しています。

「ダム:発電、利水、治水の目的で水をためるため、河川、渓谷などを横切って築いた工作物とその付帯構造物の総称。堰堤」

 ダムと名の付くものはこれ以外に砂防ダムや鉱山で採掘した岩石の残りかすを貯める鉱滓(こうさい)ダムがありますが、ここでは水をためることを目的としたダムに限定して話を進めます。

 発電用、治水用の巨大ダムも、取水のための堰堤も、ため池もすべてダムということができます。これらは水をためるための構造物という本質では何ら変わりありません。ダムの起源は水をためて利用する堰堤で、要はため池です。現存する世界最古のダムは紀元前1300年頃に作られたといわれるシリアのナー・エル・アシダム(堤高2m、堤頂長2,000m)で、現在も上水道の取水のため使われているそうです。

 日本でも7世紀前半の飛鳥時代に大阪府に狭山池、8世紀初頭の大宝年間に香川県に満濃池が築かれています。狭山池の現在の堤高は18.5m・堤頂長997m、満濃池も堤高32m・堤頂長155mの立派なダムです。どちらも建設以来何度も修理されて現在も使われていますが、古くは行基、空海が改修にかかわったと伝えられています。仏僧がこうした土木事業にかかわっていたことは大変興味深く、当時の仏教のあり方をうかがわせます。

            香川県にある現在の満濃池

 こうした大型のため池だけでなく、日本全国には約17万のため池が存在していますが、河川法では大小さまざまなダム、ため池について明確に分けています。堤高15m以上のものをダム、それ以下のものを堰(せき)として区別し、15m以上のダムについては河川管理施設等構造令で詳細な技術基準を定めています。これは15m以上のハイダムは、目的はいろいろでも貯水量が多く、万一破堤することがあれば大きな被害が発生するからです。


令和3年 明けましておめでとうございます

2021年01月05日

 令和3年、新しい年を迎えました。

 新型コロナウィルスの流行が第三波になっていると言われ、年末には全国で1,000人以上の感染者が出てきています。1月7日には、東京都をはじめ一都三県に「緊急事態宣言」が発出される予定だそうです。当社は比較的新型コロナ禍の影響を受けにくい仕事ですが、観光業や飲食業の方たちは本当に深刻な状況です。一日も早い終息を願うばかりです。

 当社も恒例の忘年会、新年会もなく、寂しい年末年始となりました。私もそうですが、社員の皆さんもおとなしく自宅で過ごした人が多かったようです。新年の安全祈願も、いつもは神職を迎えて会社事務所で執り行うのですが、今年は代表者のみ二柱神社でお祓いを受けてきました。

 一方で年末年始はここ数年ないほどの本格的な寒波となり、日本海側ほどではないにしろ連日の積雪で、毎日雪かきです。腰が痛くなりました。これからもまだ積雪が予想される地域での仕事がありますので、焦らず安全に現場を進めていきたいと思います。

 「明けない夜はない」とよく言われます。今年一年、また社員一同頑張っていきたいと思っています。

         二柱神社で宮司さんのお祓いを受けました

        新年の二柱神社 今年は参詣客も少ないです


手前味噌ですが・・・

2020年12月16日

 ホームページを昨年4月に改装して、1年8カ月が過ぎました。改装は求職する方に対して「当社がどういう会社で何をしているのか」について理解してもらうことを一番の目的にしていました。

 今年は新型コロナウィルス流行の影響で求人数が激減し、宮城県内の有効求人倍率は昨年10月の1.57(常用的フルタイム有効求人倍率)から、今年10月は1.16に落ちています。この低下はほぼ全産業に共通していますが、唯一の例外が建設業です。昨年10月に比べ、1%の微増となっています。(2020年12月1日宮城労働局発表)

         2020年12月1日宮城労働局発表の資料より

 当社は建設業ではありませんが、建設関連業に分類されています。建設業同様、この業界も高齢化が進み、引退する人に比べ入ってくる若い人が少ないのが実情です。本当に大事な仕事なので残念なことです。この現状を何とか変え、業界(と当社)の将来を担う若い人たちに入ってきてほしいと願いホームページを改装しました。

 地質調査、ボーリングは目につきにくい仕事です。建設業であれば、ビルを建てる、橋を架けると、目に見えますから比較的わかりやすいのですが、地質調査は建設を始める前のいわば裏方の目立たない仕事です。そもそもこんな仕事があることを知らない人も多いと思います。「仕事はボーリングです」と言うと、だいたい球をゴロゴロ転がす「ボウリング」だと思われます。

 このブログも、当社の仕事と内容を知ってほしいという思いでせっせと書き続けています。手前味噌のようですが、ホームページを見てくださっている人もだんだん増えてきています。改装当時は1日5人とか10人程度だったのが、最近では1日40~50人くらい、多い日は80人ほどの人が見てくれています。ただ、誰が見てくれているのかはわかりません。

「お問い合わせフォーム」にくるメールは営業メールばっかりです。

「顧客拡大のためのアポイントを取る営業代行をします」とか「お客様が画期的に増える動画を低額で作成します」といったメールですね。

 ところで話がずれますが、会社の規模が小さいということもあり、当社には創業当時から営業専属の社員がいません。営業をしないわけではないのですが、基本的に日々の業務とその技術的成果が営業であるという考え方でやってきました。

 ホームページとブログは、営業も目的のひとつですが、それよりも、ハローワークや学校で求人票を見たり、ネットの求人媒体での記事を見て興味を持った人が「どんな会社かな?」とホームページを見たときに、「こんな会社なんだ、こんな仕事をしているんだ」と理解してもらうことを目的にしています。そのためこのブログも、以下のことをテーマに書いています。

・当社の業務である地質調査・ボーリングとはどのようなものか。

・当社がどんな雰囲気の会社なのか、どういう考えで運営しているのか。

・建設工事と地質調査の関係について。

・地質調査と応用地質学の大きな分野である防災に関して、水害、土砂災害、地震災害などの情報と、歴史的背景につ いて。これについては、被害を少なくする防災・減災に少しでも役立てればという思いもあります。

 こうしたことをこれから入ってくる人を対象に書いているので、専門技術者から見ると大雑把であり、ち密さにかける文章だという指摘があろうかと思います。書いている私(代表熊谷です)は、社員の家族が読んで「うちのお父さん・お母さんの会社はこんな会社なんだ、こんな仕事をしているんだ」と分かってもらえることをイメージしています。とはいえときどき脱線し、私の思いが先行し難しくしてしまったかなと思う文章もあります(「温暖化について」など)。

 というわけで、実際の経験や感じたことなどもおりまぜながら、なるべく具体的に書いていきたいと思っています。書いている人間の体温が感じられる文章の方が、親しみやすく入りやすいと思うからです。営業だけでなく、読んでみての感想も「お問い合わせフォーム」から頂けると幸いです。(匿名でもかまいません)


平庭峠の白樺

2020年11月07日

                平庭峠の白樺林

 仕事で岩手県久慈市に時々出かけます。仙台から久慈に向かう場合、東北道から九戸インターか軽米インターで降りて一般道を使うのが普通ですが、急がない時は滝沢インターから沼宮内、葛巻を通って久慈まで走ります。わざわざ時間をかけるのは、平庭峠の白樺林を見たいからです。特に新緑、紅葉の時期の平庭峠は絶品で、観光の目玉のひとつになっています。

 ところで、白樺というと長野、北海道は有名ですが、東北地方でこれだけの白樺林があるのは平庭峠だけだと思います。白樺は、この地域の山地の雑木林の中にある樹種ですが、ミズナラなどに混じってまれにぽつぽつとみられる程度です。なぜここだけがそうなっているのか、以前から不思議でしたが、あるとき「山形村史」を読んでこの謎が解けました。

 「山形村史」によると、山形村(現在では合併により久慈市山形村になっています)と隣の葛巻町では、昔から林業、特に薪炭業(炭焼きですね)が盛んでした。ところが、白樺は材質が柔らかすぎるため、建築材としても、薪炭材としても役に立たず、ミズナラ、クヌギ、ブナなどの有用材をだけを伐採し白樺はそのまま残したのだそうです。さらに白樺は陽樹、日の当たるところで幼樹が成長する木のため、ほかの木の伐採後にどんどん増えてしまい、現在のほぼ純林状態になった、つまり結果として人工的な林になったということです。

 そういうわけで観光資源となった白樺林ですが、白樺は成長が早い一方で、寿命が短いという特徴があります。おおむね80年から100年程度の寿命だと言われています。また、白樺の林の下からは、陰樹(日陰で成長する樹種)であるミズナラなどが成長し、白樺は世代交代できないことになります。したがって、そのまま放置しておくと再び東北地方本来のミズナラ、ブナ林に戻ってしまう運命にあります。

 この白樺の純林がこのまま維持されていくのか、あるいは岩手県北部に特徴的なミズナラ、クヌギ、クリ、カエデなどの混合林に戻ってしまうのかはまだわかりません。いずれにしても自然は必ずしも「自然のまま」にあるわけではないことを感じさせられます。ただ、これは長い時間の中で変化していくものなので、まだしばらくは今の美しい白樺林が見られるものと期待しています。